令和の時代に沈む、タイタニック号
以前のボヘミアン・ラプソディの記事を事あるごとにツイートしているのだけど、そのたびに読み返していて、「その時の気持ちを真空パックしておいてよかった!」とつくづく思ったのです。
そして、日頃からそんなにたくさんの映画を観るわけでもないし、せめて観た映画を、気に入った映画を、その時の感情をギュッと記録しておきたいと思ったのです。
そんな時に金曜ロードショーで観た不朽の名作
「タイタニック」
いまさら観るのか、いまさら感想を綴るのか。
散々消費され尽くしたはずの名作。
幼少期に触れたこともありながら、この令和を生きる、27歳のわたしが「今」に感じることを綴ることに意味があると思うので、拙い感想文ですがどうぞお付き合いください。
■歴史を、過ちを、後世に伝えるための映画
前半の、たった2.3日にも関わらず夢中になった、心を燃やした若者の恋をを経て、幸せ絶頂の状態で始まる後半。
氷山への衝突から、沈没までの数時間の描写は息を飲む。
この事故は、人災だ。
前にも綴った「人は悲しいくらいに経験からしか学べない」そんなことを今回も感じた。
きっとこの事故で、救命ボートの数や、事故があった時の動き、訓練、見返されたのだろう。
経験しないと分からない。とても悲しいことだけど、せめて、後世に語り継いで行かなければと思うのである。
今回はね、この映画の中でわたしが、自分の世界に照らし合わせたことについて、綴っていきたい。
■知っていること、想像すること
そして、思い出す、信じがたい、この事故が実際にあったということ。
生還した人々が残してくれた記録。たくさんの専門家が調べ検証した結果わかっていること。
それをもとに作られた映画から、わたしたちは知ることしかできないのだと。
…そしてそれを事実としてのみ捉えるのか、単なる歴史の1ページとして捉えるのか。それととそこからさらに、想像力を膨らませられるのか。
なにごとも想像力なんだなぁと。
とても印象に残っているのは、冒頭で調査員がタイタニック号の沈んだ理由、仕組みを淡々と、むしろ嬉々として語る様子。
そして後半で実際に船が沈むシーン。たしかに、冒頭で語られるシーン通りの順で沈んでいくのだけど。
その時とは違う、逃げ惑う人々の命と恐怖、惨状があった。こんなにものすごい壮絶な人々の命が関わっていることを想像できていなかった。そこには間違いなく2000人の人生があった。2000人を乗せた船が沈没するということは、こういうことだ。ひとりひとりの物語、惨状、目を伏せたくなるような苦しい時間が存在するのだ。そうだよ、なぁ。
そしてそれもあくまで想像…再現でしかないのだと。
タイタニック号の事件に限らないのだ。水が人に襲いかかる様子をみていると、東日本大震災が連想されて、直視できない瞬間が多くあった。
「水」という共通点に結びつけなくとも、事故だって事件だってそうだ。
…もちろん、冒頭で語る姿が悪いと決めつけられることではないのだけど、「ああ、知らないって、想像できないことって、罪だ。」そう、苦しいくらいに思った。
手に取るように情報を得られる、この世の中だからこそ、情報だけじゃなく想像力を働かせたい。コンテンツとして消費されないようにしたい。
そんなことを思わされたシーンだった。
■全員の選択、全員の人生
「死を目の当たりにした人たちの、最期の選択。それぞれ、すべての行動を選択している」
タイタニックついて、そんな話を最近交わしていたところだったので、今回の鑑賞ではその時点で観たいと思っていたの。
死を目前にした時に、我先に生き残りたいと行動する人、混乱を起こす人、職務を全うする人、愛する人と過ごすことを決める人、周囲を気遣う人、「最期まで紳士らしく」と救命胴衣を着ない人、荷物をとりに戻る人、抱き合いながらその時を待つ老夫婦、ベットで子どもに絵本を読み聞かせる母親、最後のときまで音楽を演奏する演奏家たち。
こういうときに人の本性が出るというけれど、この点については、わたしはあまりその「本性」をジャッジしたくないとは思う。
死を目の前にして、「いい人」「悪い人」そんな単純なものではないとおもうのよ。
正直、どれも間違いなんて言えない。悲しい選択はあったとしても、それもそれでその人だと、そうするしかなかったと、抗えるものなど何もないと、死を目の前にした人間の無力さを思い知らされる。
「本性」ってなんだろうなぁ。わたしは人の何を見るだろう。こういう時に、なにを軸にして眺めるのだろう。ただ一つわかるのは、評価などできる立場ではないということだけ。
「金持ちは、非情だ。」「金に盲目だ」
そんなことばで終わらせるのはナンセンスだ。
物語上、はたまた、映画をみる大部分の民衆にむけると、そういった描写が受けるという理由もあるのかもしれない。
だけど、彼らの努力も、背負うものも並大抵のものではないだろう。そういう意味でローズのお母さんの描写からは、くるものがあった。
ある意味「それしかない」のだ。
命を目の前にしてまで(だからこそか)貧富の格差が如実に出てしまう、そもそも等級順の避難制度に疑いもせず納得している存在に苦しくなった。
個人的には、貴族の中ではモーリー婦人の立ち振る舞いがとても素敵だった。周りからは鬱陶しがられるところもあるけど、人の気持ちが想像できる人だな、と。ここまで這い上がってきた背景があるのだろうけど、パーティに招待されたジャックの服装を気にしてくれる姿に、わたしは、彼女の最期をきちんと見届けようと決意した。
それから、そういう「善悪」の印象は、何事も要は置かれた状況と視点によるのではないかといつも思う。物語の主人公として描かれるローズとジャック。愛を求めて、強さを持って、愛する人を救おうと努めた。視点を変えたらどうだろう。。主人公を誰にするかなんだ。
フィアンセもある種の被害者ではあると思う。お金しか見えていない、ローズとの結婚もお金だと言う意見もあるけど、わたしとしては、ローズへの愛(というと語弊があるかもしれないけど)も感じられたんだけど。じゃなかったら自分が乗れそうなところ、降りてまで助けに行かないし、自分に気持ちが無いと他の男を選んだところに何度も助けに行けないよなぁ。と。
それを伝える方法を知らない、悲しい人だなぁ、とは思える。
…わたしたちの小さな日常でもそうだという視点を持つようにしたい。
立場を変えたらどうだろう、この人とこの出会い方をしなかったらどうだろう、今このタイミングでの声かけじゃなかったら、わたしはどう感じるのだろう、、
一呼吸置いてそんなことを考えるとみえてくるものがあるなぁと、思う瞬間があるの。
そんな自分が冷静だとか、正しいだとかすべてだとは思わないけど、みんなが一度でもそう一呼吸おけたら、世の中はどれだけ相手を思えるのだろう、なんて思う。
■印象に残ったシーン
*自殺する乗務員
実際は定かではないが、実際に拳銃自殺した乗組員がいたという噂があるらしい。
乗客を銃撃してしまった後に、敬礼して、拳銃自殺するシーン。ハッとした表情、敬礼の姿に、なんだか胸がぎゅっとした。
どんなプレッシャーのなかで、命が惜しく乗り込む人たちを統制していたのだろう。言わば命を選別する仕事だ。映画を観る立場からも「なんと言われようと定員まで乗せればいいのに」とも思えた、そんな簡単な話じゃないのだろう、そんななかでどんな重圧と人々からの批判と暴言と、、
命を救うための作業が、命を選ぶ作業になるなんて。
しかも吹き替えでは同僚が「やめろ!」と声をかけているけど、実際は彼を愛称で呼び止めているんだって。以前の航海でもともにした同僚。あ〜〜。なんて苦しい。
*最後まで演奏を続ける演奏家たち
この時代に音楽をやっていて、音楽を生業として、タイタニック号のはじめての出航に、演奏隊として乗る。きっと、とてつもないエリートたちなのだろうと予想できる。。
「こういう時だからこそ、乗客が不安にならないように」と最初演奏を開始するけど、後半は、自分たちに向けて演奏しているように思えた。一度解散するもまた自然と集まり演奏をする。死を目の前にしての、彼らにとっての「音楽」とは。
こちらも史実に基づいているとのこと。
婚約者からプレゼントされたバイオリンを紐で体に縛りつけ、離れないようにしてある状態で発見されたとのこと。
この数日の(帰りを含めると長期に渡るのだろう)旅に対し、婚約者はどんな気持ちで送り出していたのだろう。誇りとまた会う日の待ち遠しさと。もしかしたら少しの不安と。
*軽率な判断に責任を感じ船とともに最期をむかえることを選んだ設計士と船長
もともとは彼の偉業になる予定だっただろう。きっと彼らも本来は設計士としてとても船長としても優秀な人で、誇りもある人だっただろうと思う。
「沈没したタイタニック号の設計士、船長」として事実今も名が残る人物になったわけだけど。
背負いきれない重圧、周囲の期待に、誤った自身の軽率な判断。「沈まない船だ」と本気で思っていたのか、そう思わざるを得なかったのか。そう思わせてしまっているのか。
この悲劇の原因、彼らのしたことは誤りでしかないのだけど、それはこのふたりにだけ課せられる十字架ではないと思うの。特別このふたりが悪人だったわけではない、きっと、世界全体がそういう考え、流れを作っていたのだろうと。それがとても罪なことだ。
結局、悲しいほどに、人は経験からしか学べないんだ。
この事故がきっかけで、見直されたルールがたくさんあるとのこと、それには犠牲になった人が多すぎた。けどこれも人間の悲しいところだ。
だから、忘れてはならない。知っていかなければならない。
*救助に戻る船
たくさんの死を目の当たりにし、「遅すぎた」と涙を飲むシーン。どんな気持ちで遺体を動かし、声をかけ続けたのだろう。胸が苦しくなった。
救助に戻る勇気を持った行動だと称賛されておて、実際に6人の命が助かったらしい。
「安全をとって助けに行った、時間がかかった理由」についてもいろいろな意見があるだろう。でも、その時間がかかった理由でさえ、正しさだけでは語れない。
沈んでいく船を、溺れていく人を、ただ見るしかできなかったこと、助けに向かうのに時間がかかったこと、助けに行った際に、混乱した人々がよじ登り転覆する恐怖。そういう感情全て、間違いではない。正しさ、なんてわからないのだけど。
とはいえ、称賛も批判も違和感がある。それはその行動の正しさにではなく、「個人」が背負うことでないと思うから、なのかもしれないなぁ。
(最初から定員まで乗せられる仕組みが欲しかったよね!!!)
*ダイヤを海に放つシーン
最後のこのシーン、いろいろなバージョンがあるみたい。
ずっと誰にも言わずに大切に持っていたダイヤを、海に放つシーン。正直、ダイヤはジャックにもらったわけでもないし、フィアンセにもらったものだよなぁ?となぜ大切にとっておいているのだろうと思え、絵を描いてもらったときに身につけていたから?とか思っていたけど、
なんとなーく、とてつもない悲劇のあっという間の悪魔のような数日間、記憶からも消し去りたいほどの経験だろう。だけど、同時にジャックと過ごした時間として「あの時間があった証明」のような存在だったのだろうかと思う。
ジャックが描いた絵が海の底から戻ってきた。これもダイヤ以上の「あの時間の証明」になるのだろう。
そしていままで誰にも話さず心にしまっていた話をした。人に話してようやく自分のものになるような感覚、わかる気がするんだ。言い伝えなければ、消えてしまう、ジャックとの時間、ジャックの存在、人に話したことで、これも「あの時間の証明」になったのでは。
そして、他の人が考察しているとのを読んでなるほどーと思ったのが、ジャックがスケッチブックに描いていた「ありったけの宝石を身につけて帰ってこない主人の帰りを待つ女性」と同じ状況であったローズが「開放」されたのだと。
だからこそ、あのとき、ダイヤを「タイタニックが沈む海の底」つまり「ジャックが眠る場所」に返したのかもしれない。
意を決したようにでもなく、後ろ髪を引かれるようにな訳ではなく、返そうという意思がありながらも、「あっ」と落とす。
その「あっ」という声と表情に、「やられた」と思った。
そして100歳のおばあちゃんは船の上で、少女だった。
ここであの悲劇があったんだ、あの事件があったんだ、愛する人と離れたんだ、、
どんな思いであそこに立ち、ダイヤを放ったのだろう。
想像しかできないのだけど、思いを馳せる。
■1度目の鑑賞
誰もが見たことある名作。「ネタバレ禁止!」なんていまさらあえて言われないくらいの名作。
「なんか船が沈む映画で、最後男の方が死ぬんでしょう?」それくらいは分かっている。
小学生の時に同じく金曜ロードショーで見た、タイタニックは、幼心なりに響いていた。
唯一記憶に残っているのが、「最後にジャックが沈んでいく姿」に「マネキンのようだなぁ。」と思ったこと。「そりゃあ本物が沈むわけにいかないもんなぁ。」なんてことを考えていた。
なんて情緒もない感想なのだと我ながら思うのだけど、20年経ってみたそのシーンは、当時の撮影技術をもってみても、「リアル」だと思えた。
幼いわたしが「凍え死ぬ」ということを理解していなかった、ということもあるのかもしれない、だけどそれだけでもない気がする。
歳を重ねて大人になって、多くの感情を抱いて、深みを増したシーンなんていくらでもあるのに、明確に「20年前の気持ち」を思い出したのはこのシーン。そして、「感じ方の違い」を感じたのはこのシーン。
この気持ちのギャップにある厚みは何の厚みなのだろう。なにがそうさせたのだろう。そんなことをぼんやり考えていた。
こらはまだわからない。
■いまの時代を照らしてしまう
置かれた状況も違ければ、時代背景もちがうのに、どうも、今の日本を重ねてしまう。
知らされないことに対する不安と混乱。恐怖。
わたしたちは、今何を考えるだろう。
タイタニック号より遥かに多くの時間を残され、何をするだろう。
船に乗り込む彼らの姿は、ワクチンを待つわたしたちの姿ではないのかな。
人間は、いつまで経っても同じだ。
悲しいくらいに人間は経験からしか学べない。
だけどわたしたちには「歴史」と「経験」がある。
ヒーローでもヒロインでもないけれど、
まだまだ「選べる」ことがたくさんある。
そんなことにはやく気づきたい。
そんなことを思いながらぼんやりと世の中を見渡す。
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僕たちが辿り着きたい場所は
愛し合える人の楽園か? それがぶち壊される戦場か?
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終末にDeepkissさしてくれる相手は何処で僕らを待ち受けてるのはどういうエンディング?
終焉のディープキス/高橋優
ああ、きっと長々と綴ってきて、
わたしが表現したかったのはこの歌の感情だ。
高橋優の音楽の中に、わたしがいた。
高橋には敵わないなぁ。