天使にラブソングを通して考えたこと
わたしが何度も何度も繰り返しみている数少ない映画。好きな映画を聞かれたら必ず挙げる映画。
ボヘミアンラプソディといいステージでの歌唱シーンがあるものが好きなのがわかりやすい。ね。笑
シャウトするように熱唱する人に釘付けになるのも、、
ハスキーボイスやハイトーンボイスに射抜かれるのも、
複数人数で歌うハーモニーに酔いしれるのも、
メロディと湧き出るものにに身を任せリズムを刻む姿に憧れるもの、
今思うとわたしの音楽の好きと憧れが詰まっている。
本当に心の底から惚れ惚れする、どきどきする。
……いや、これがきっかけでこういうものが好きになったのかな?
これが「音楽のルーツ」というものなのかな?
そう思うと「わたしにもそんなものが…!」と恐れ多くてなんだかさらにどきどきするのだよね。。
……とはいうもののね、歌唱シーンが好きすぎてそのシーンを何度も何度もみているから、、
今回の金曜ロードショー、全編通して観るのはもしかしたら10年ぶりとかだったかもしれない、、(はて?さきほどの何度も繰り返しみてます発言はゆるされるのだろうか笑)
大人になった今改めてみたら、歌唱シーンの完成度はもちろんのこと、ウーピーゴールドバーグ演じるデロリスや周りの人達の人と向き合う姿勢や受け答えなど、細部に目がいき、いままでとまた違ったところで感銘を受けたよ。
相手を説得したいとき、行動を変えたいときに、真正面からいうのではなく、相手の良いところに目を向けて、たてながら、相手の納得感と気分の良さを持ちながら伝えるところ。
一見ガサツで口が悪かったりするけども、(意見が対立することはあるけど)誰も傷つけていないのだよね。
それから院長。組織の中で周囲と自分との意見の食い違いに対して、まわりの選択を受け入れられないながらにも、きちんと最後はまわりの意見を認めるところ、そして自分が古くなってきたということを省みて、組織には新しい風が吹くべきだと辞任を選択する勇気。
2でもね、みんなが知っているメリーさんの羊の歌を知らない子がいた時に、「なにもおかしくない、彼女の家ではメリーさんが飼っていたのは羊でなく犬だったのかも。そしたら知らなくて当然、それだけのこと。」と言っていたこと。このあたりはいろんな人種や文化が混在するアメリカならではなのかな。
自分とことなる人を知ること、知ろうとすること、分かろうとすること、分かれないことを認めること、そういうことが求められる世の中にどんどんなってくると思うのだ。必要だと思うのだ。
それからこの映画の魅せ場のひとつであるOh,Happy Dayの歌唱のあと、まわりの歓声も響いていて生徒たちも気持ちが高揚しているときにクローズアップはされていなかったけど、さりげなく、「お辞儀をして」と促す姿。
そういう人として身についていてほしいことをさりげなく伝えている姿に、特にそういうところに想いとかってきちんと表れるんだなぁとぐっときたのであった。
うん、そんなさりげないところに目を向けられるようになったこと、ぐっときていること。うんうんと頷くこと。これってきっとわたしが大切にしたいと思っているところなんだなぁ。
そんな気づきを持てるのは同じ映画を繰り返しみたからこそなんだよなぁ。集中力が米粒なわたしには貴重な素材であることは間違いない、、
うんうん。
映画のもつ魅力とは別に。なんでこの映画が特に好きなのかなと考えたときに頭に浮かんだことが実はもうひとつあって。
今日話したいことはそこなんだ。(驚くだろう?これ全部前置きだったんだってさ。)
それは、この映画を見たきっかけと影響に関することなんだけど。もともとお母さんが好きな映画で、金曜ロードショーで毎回観るのはもちろんだけど、DVDも家にあったんだ。
初めて観たのはいつだったのか、、そこまでは覚えてさえいないんだけど。
わたしのお母さんはわたしが小学生中学年くらいの時からゴスペルを習っていて、ゴスペルをやりたいと思ったきっかけがこの映画だったことは知っていた。
ゴスペルを習いはじめたのは、住んでいた地域で開設されたクラスの初期メンバーの募集が市報に載っていたのがきっかけだった。
そしてクラスが始まって初期にやっていたのががこの映画のOh Happy Dayだった。
お母さんがゴスペルを習っていること、好きなことをしていること、ソロパートをもらっていることってなんだか当時のわたしには誇りだったような気がするなぁ。
……そして、この歳になって思うことは、
大人になってからずっと続けられる趣味に出会うこと、生活がかわるなかで続けられることってすごいことだと思っていて。
この映画の公開は1991年。
兄が生まれた歳。
そのタイミングで「たのしそう!かっこいい、やりたいなぁ〜」なんておもうものに出会って、でもこの時は「子育てが終わったら」と思っていたそうなのだけど、
たまたま先述にあった募集要項に出会ったというわけだ。
何曜日だったかは忘れたけど、その授業が平日の夜だったのは覚えてる。
必ずわたしたちの夕飯を用意して行ってくれていたのも、今思うとお母さんのなかでのポリシーだったのかもしれない。
そして、「行かせてあげる」という空気さえも出さず、当たり前のように当然のようにしていたお父さんも。
両親のこういう姿勢とか、子育てに支配されず自分の人生も大切にしていたところ、互いの人生を尊重していたところ、わたしの家族像の基盤になっていて。
きっとね、そういう両親のなかでそういった基盤があるからこそ、わたしたちこどもを親の所有物ではなくひとりの人間としてみてくれていたとにも繋がっているんじゃないかな。
そんなこと考えたのはきっとね、自分の中での同じような存在との付き合いかたについて模索しているからなのかなぁ〜。
実はね、
昨年の秋ごろから、仕事と生活と手話のみっつのバランスのとりかたを悩んでいるの。わたしのこの性格、やると決めたらやりたいし、そのためにこうしないと、という謎の使命感のような気持ちが強すぎて、柔軟になるのが難しくて、うまく行かなかったときにすごくどんよりしてしまっていたの。
好きでやっていることだし、話す楽しさとか奥深さに魅了されているのはもちろんなのだけど、仕事と生活にプラスアルファでやっていくにはバランスを保つのがむすまかしくて。
(どれかひとつが飛び出すと一気にバランスが崩れちゃう状態)
生活をていねいに送りたいという思いが生まれ出したのも、理由のひとつだと思う。
加えてこれからきっと生活が変わっていくことを危惧したら、新しいチャレンジなんてできないんじゃないかなぁなんて無意識に思っていたのかな。
だから「今、成し遂げないと」と試験に合格するメリットを勝手に作ってもいた。
生涯勉強だということも、通訳者としての活動がすべてじゃないということも、分かっているつもりだったけど、心の根っこで思っていたのだろうなぁ。
そんなこんなで手話がいつのまにか義務のようになってしまっていたのだよ〜〜。
今はコロナの影響もあり強制的に参加できなくくなって、いろいろ生活とその他もろもろのバランスを考えてすこし落ち着いたのと、また「はやく話したいな、参加したいな」という気持ちが戻ってきた。
「いったん休む」って思っていた以上に大切なんだなぁ。
気持ちがまいってしまっておしごととかを休むのもきっとこういうことのために必要なんだろうなぁなんて、身をもって感じたり。
すこしわたしの心の引き出しが増えたかな。
だから、これからはね、自分のバランスを模索しながら、長く付き合えるかたちをみつけていくことが目標。
そしてそのうえでね、環境やタイミングを言い訳にせずいまやれる努力はしてみろというところ。笑 できることすらしなくなるのはよくない!
たのしく、こころおどる、そんなことでいっぱいにしていくための術だね。
とにかくなにが言いたいって、
これからの人生もたくさんそういうものに出会うチャンスがあるということと、できるということ。
でも決して、母も楽しいだけでやっていたわけじゃなく、大変なことも面倒なこともあったろうし、悩んだこともあっただろう。
そして続けるために、大変ななかこれだけはやるというポリシーを持って生活とのバランスをとっていたんだろうなぁということ。
そのポリシーも持ちたいな、ということ。
映画の話から、わたしの家族の話、わたしの趣味の話、とまとまりないけども、映画を見たことでのじぶんのなかの心のうごき、これらもせっとで映画鑑賞だと思うので。
ひとりごとにお付き合いくださった方、ありがとね!