冬はつとめて
いやいや、夏を目前に控えた梅雨のいま、なにを言い出しているんじゃいというタイトルだね。
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先日テレビ番組で
「枕草子の、冬は"つとめて"はどの時間帯を表しているか」
という問題が出題されていたの。
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(そう、「あなたは◯◯より賢いか」ってあれ)
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その時思い出した、当時の記憶。
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「春夏秋冬、それぞれどの時間帯が好き?」
単元をすすめる前にみんなに聞いてくれた。
そういうカリキュラムになっているのか、先生が意図的に聞いているのか、その辺はわたしにはわからないのだけど、
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「冬は朝早くだなぁ」と話すわたしに、「えーーただでさえ寒い冬に、朝はとびっきり寒いのに」とグループのみんなから総ツッコミをくらった。
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わたしも、なんなら人より寒がりだ。そのグループで1番かもしれない。毎朝布団から出られず「冬の早朝」とたたかっている。できるなら外には出たくない。
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だけど、外に出た時に鼻がツンとする感覚も、
息をはきかけた手が湿る感触も、
誰も踏んでいない凍った水溜りにヒビをいれる優越感も、
霜柱を踏んだときの軽く軽快な音も。
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そう、「その季節の匂い」を感じる時間だったから。
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そんなやりとりの後に、紫式部は、
「冬は"つとめて"」とうたったことを知る。
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別に正解があるわけでもないし、先生もクイズを出したわけではない、
だけど、清少納言と共感できたことが嬉しかった。
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たったそれだけのエピソード。
何年生の時だったのか、同じグループには誰がいたのか、そんなことは全然覚えていないのだけど、ただその時の「嬉しかった」抽象的な事実が、記憶されていた。
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勉強したり暗記したわけではなく、そんなエピソードが、いまのわたしの記憶につながっているんだなあ。
そして、そういう記憶ほど残るのだろう。
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会話や物事の背景にエピソードがあって、それを覗かしてくれる人とは、話していて楽しいと感じる。だからわたしもエピソードを重ねてページ数を増やしていきたいなぁと思うのである。
それがたとえ自分の話でも、周りの人の話でも。
歳と経験を重ねるおもしろさってそういうことなのかな。
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なんて考えた。
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そして、きっとこうして、忘れていたくらいの、誰かに話すほどではなかったエピソードたちだけど。そんなエピソードにこそ、ここの場所に、綴ってあげたい。
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こうして、記憶に残っていること、人生にきちんと残っていること、先生にも伝えたいなぁと思ったの。
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それは、わたしが仕事で、「種を撒く」ことを意識してきたからこそなのかもしれない。
そして最近友人ともそんな話をしていたからかもしれない。
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間引かれたか、枯れてしまったか、確認もしないけど、気づいたら育っていた、戻ってきたらそこでそっと咲いていた、そんなこともあるのかも。
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少なくともわたしの人生にはそんなものがたくさんある。
たくさんの種がきっと撒かれているのだから、
その芽に気づけるように水をあげて、目を向けて歩いて行けたらいいなぁ。
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そして、可能な限り、種を巻いてくれた人に、伝えていきたい。伝えられる人になりたい。
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