君を今日も 愛してる!

おもいを綴るばしょ

2022.11.20 GLORY DAYSツアー

いつもだったら、Twitterに記す気持ちたちを

ためしにブログに記してみる。

 

Twitterだからこその気軽さもあるだろうけど

あえて、そのまま、

フレッシュでホットな気持ちを…。

なので読みにくいかも。

 

 

 

※ネタバレ含みます

  

 

 

 

 

今回のツアーは、原点回帰のような、

彼らの大切な節目を遡るような辿るような、

そんな気持ちになるライブだった。

 

辿る、というか、、なんだろう。

コブクロのこれまでの歩いてきた道というか

ある種の「ルーツ」を辿るような選曲たち。

 

 

ふたりが、誰よりも大切にしている曲たち、

つくったときや歌ったときの気持ち全部を

大切に見返しているような。

 

 

恋愛観測のリリースからも感じていたけど、

時間の長さだとか距離の遠さだとか、

心をこう、ポーンと遠くに投げたような。

実際の距離ももちろんそうだけど、

声を通して交換できないこのライブの時間を

そんなふうに感じている気がして。

 

 

 

そんな世界の恋愛観測が、はからずしも

もうなんだか遠い時間のように感じる、

あの太陽での北海道での公演から

時間と想いを超えてやってきたような。

 

そして、ツアータイトルだったあの太陽と

今回万博を控えてテーマにした「この地球」の規模に負けず劣らず。

しっかりと繋がっていたような気がして。

 

 

本当、恋愛観測はいまこのツアーの為に、

あのタイミングに音源化されたのだろうと

思えてしまう。

うん、「その時が来た」のかもしれない。

 

 

 

 

今日のライブは、

言葉を置くように歌う黒田さんが印象的だった

言葉を強く抱きしめるように歌う小渕さんが印象的だった

うまく言えないんだけど、いつもとまたちがう

歌詞との向き合い方を感じたの。

 

 

そしたら、こぶちさんが話してくれた、

黒田さんがあの太陽〜を、これまでとは違うアレンジで

また違ったかたちで歌詞を、言葉を届けたい

と話していて、今回アレンジしたと。

 

はあ〜〜〜だからかも、と思った。

 

 

 

 

 

コロナ禍に開催した、スターメイドツアーや

ノクターンライブのときよりもまたひとつ違った

「いまの世界」との向き合い方を感じたし

まだまだ制限も我慢も葛藤もあるなか

ひとつ「自分たちのライブはこれだ」という

確信のような気づきもあったような気がした。

 

「自分たちの音楽の楽しみ方」をもって、

いろいろなことにトライしてる姿が印象的だった。

 

 

ひとつひとつの曲たちのこと語るとキリがないし、

こまかいアレンジまでは覚えていないんだけどさ

 

 

あの太陽、時の足音のアレンジも。

実は生で初めて聴く恋心も。

 

高校生の時、コーリングの、発売時夢中で

聞いていたときのこと、ゆのと話してて

なんだかとても懐かしく…嬉しくなった。

mixiでファンの人と絡んだりし始めたころ、

コーリングで好きな曲でよく挙げてたなあとかね)

 

 

 

そうそう、

新曲の歌詞を少しずつブログで公開していたことも

ある種新しい試みだったと思うんだけど、

なんだかそれも原点回帰なような気がした。

不思議と、歌詞を辿るように、

物語の展開をわくわく楽しみに待つようなのが

「懐かしいなこの感覚」と思ったのだよね。

 

(リアルタイムに読めていたわけじゃないけど)

 

 

歌詞を辿るように読み進めていたことも

描写する情景も含めてバラードと思っていたから

びっくりした!ああいう歌謡曲のような、

レトロのような雰囲気もある曲調のこと、

なんでいうの?

 

 

 

 

 

 

 

 

歌詞をあらかじめ配布してくれていたの、

わたしは聴く前の心づもりができてとても嬉しかったし、

2人らしい気遣いと優しさだなと思った。

そして、持ち帰れるってことは、

歌詞を後からも読み返せる!

嬉しい副産物もあったのでした。

 

そう思う1番の理由は、やっぱり「足跡」。

 

なんだか、ライブで披露される新曲で

こんなにも初聴きで心を引き込まれたもの

涙が溢れてしまったのも、久々だったの。

 

歌詞を前もって読ませてもらって、

「ロックくんこことかな?」なんて思ったけど

とはいえ、ここまで「いつかくるであろう最期」を連想させる直接的な表現をわざわざするか?

なんて少し違和感も感じながら。

 

だけど、曲説ではなしてくれた、病気の話。

だからか、と息を飲んだ。

 

 

それからは事前に読んでいたおかげで

すっと入ってきた歌詞たちと、

だからこそ噛み締められた歌詞たち。

 

 

 

実家のさくらは最期は認知症の症状はひどかったとはいえ、

歳と共に徐々に衰えていく姿をみていたし

これらが老衰によるものなのだろうと受け止めていく時間があったけど、

 

 

治らない病気と付き合いながら、

「今日は、調子がいいなぁ」なんて

ホッとしながら願いながら過ごす時間は

わたしには想像がつかないなと。

 

そんななかでの10歳のバースデーの更新だったんだね。

知らなかったことを恥じたし悔いた。

 

 

 

小渕さんは、「父が亡くなった時も、母が亡くなった時も歌を書いた」と。

今回は、元気なうちに、抱きしめられるうちに、夢のような時間に、曲を書いた。

 

なんて、素敵なことだろうと思えてならないのだよね。

誰かのために、その瞬間のために、曲をかける。

やっぱりわたしは、なにかをつくる人、

なにかを表現する人に強く憧れを抱く。

そう思ったいちばんはじめの人が小渕さんだったかもなぁ。なんて。

 

 

足跡の歌詞、大切に噛み締めてる。

 

葉桜の散歩道、濡れた落ち葉。

蕾で肩に花びらを乗せて笑ったのも桜並木だったなぁ、なんて。

そしてわたしもさくらとの思い出で1番に浮かぶのは、

桜並木の散歩道なんだ。

 

そんな立派な桜並木ではなくて、田んぼの畦道に

誰かが植えたんだろうなという桜が何本か続く道。

 

犬の散歩か、その田んぼの地主さんしか通らないような道。

そんな桜並木を散歩する景色を思い出す。

 

葉桜、濡れた落ち葉。

初夏や夏の中、「葉桜」という言葉をよく用いるけど、

きっとこの葉桜はその季節ではなくて。

 

病院で話を聞いたあとの景色なのかな。

ツアーの始まる前だと言っていたからもう少し夏かな、曲を書いていたころかな。

秋と呼ぶにはまだ少し早い頃かな。

台風で落ちたまだ紅葉する前の葉なのか。

そうなると、濡れているのも合点がつく。

 

 

なんだか、落ち葉を歌詞に描くときに、

わざわざ「桜」と明記することが意外で、

桜って春と時々夏、以外は桜であることを忘れられてしまうと思うの。

そんなところで描くのがある意味こぶちさんらしいし、

きっと小渕さんのなかで「桜」であることが大切な景色なんだろうなぁと、

 

同じように桜の散歩道を思い出にもつわたしは思ったのである。

 

 

「もっとそばに居ればよかった」

もっとしてあげられることがあったのでは、と

残される側はどんなに尽くしていても感じてしまうと思うし、

そう分かっていても、どうしても数えてしまうなと思うの。

 

どんなに家族として接していても、

いや、家族として接していればいるほど

種を越えるということはそういうことだと思う。

 

 

でもそんななかで

「会えなくなるのはこの世界だけ」

という歌詞が出てくるのが、

とても救いだと思えたし、

小渕さんらしい視点だなぁと。

 

そんなふうに、捉えられたらいいな、と。

 

 

 

「そばにおいで」という歌詞に隠れる

「おいで」という言葉がまた、、

何度もかける言葉だし、絶対に愛のある言葉

嬉しいしハッピーな言葉、優しい言葉だから。

ロックくんを想ってのあえて、の「おいで」なのかななんて。

 

くりっとした丸い瞳も軽やかに走る姿も

イタリアングレイハウンドだからこそ

より鮮明に浮かぶ、ロックくんの姿。

 

「どこまでも走れ」という言葉も

「丸い瞳」の表現もやっぱりこの歌詞は

ロックくんのための歌詞だと思う。

 

 

 

またね、メロディーがとてもシンプルで。

とっっっってもよかった。好きだった。

これは、お母さんに聞かせたいと思った。

 

だからこそ、ライブで披露された新曲が

「はやく音源になってほしい」と

久々に強く思った。

 

最近は嵐のように過ぎていく時間のなか、

音源化されたものすら追えていない日々だったから…。

 

 

そして、帰ってはやく、家で待つあの子を

抱きしめたいと思った。

 

 

 

 

足跡への思いも綴ったけど、

ライブ前にゆのと話した時間も含めて、

なんだか、このライブを通して、

改めて強く心に思ったこともあって。

 

いろんないろんな理由もきっかけもあるけど、

やっぱりわたしはいまの仕事との齟齬を感じる。

 

 

わたしは、支援をとおして、

そのままのあなたでいていいんだと、

存在を肯定していきたいのだと。

 

今の立場を全て否定はしないし、

不要だとも思わないけど、

「わたしでなくていい」ともおもう。

 

少なくとも、わたしがしたい関わりではなくて

わたしの良さも生かされないように思う。

そしてシンプルに、苦手なことに向き合うのもしんどい、、。

 

我慢すべきこともそのなかで学ぶこともあるけど。

それも含めて経験したことには意味があるとは心から思うけど。

 

今のわたしの心はそこにしがみつきたくないし

しがみつく必要もないのではと思う。

 

そう思ったことはこんなに力強く綴れるけど

とはいえ、いろんな感情が浮かんで、

いざとなるとそうも簡単にいかないけど…。

弱気な自分もたくさん出てくるけど…。

 

でも心ではもう、分かってしまっているんだなぁと。

背中を押してもらったと思って、大切にしよう。

そう思って、このブログを書いたのもあるのである。

 

また今度、細かい気持ちは、綴ろう。

 

 

ライブからの帰りの電車、

1時間15分くらいで取り急ぎ記す、気持ち。

 

 

あ、そうそう、引っ越しが初めての

茨城からいくさいたまスーパーアリーナ

ちょっと距離は遠くなってしまったけど

高校生の時ドキドキしながら朝早くから電車に乗って

向かう茨城からのちょっとした長旅。

いや、高校生の私たちには大冒険だった。

 

なんかそんなゆのとの時間も思い出したの。

ライブ後の鳥貴族は行けなかったけど(悔)

「距離」に対しての想いを馳せる。

 

 

うん、記せてよかった。