君を今日も 愛してる!

おもいを綴るばしょ

わたしのいぬが好きな理由

なんとなあ〜く考えていたこと

小学生の時からわたしは犬が好きだ。

 

趣味、マニア、オタクというとのは様々で、

鉄道オタクと言われる人たちも、乗り鉄撮り鉄、などさまざまな種類にカテゴライズされている。

ダイヤが好きな人、車体が好きな人、広告が好きな人、切符を集める人、Nゲージとかも挙げられる。

 

 

そういう、趣味の中でのカテゴライズからあえて考えると、小学生の頃からのわたしの犬好きは「犬種」に特化しているように思う。

もちろん職として行う専門的な人や学問として行う人もいるし、なんならそのカテゴリーのなかでも、ショーやブリード、トリミングとさらに専門性を絞るとより深い話になってくるのだと思う。

 

わたしの場合は、個人の一嗜好の範囲内であることをご了承ください。

(こういう注釈をつけちゃうのも悪い癖)

 

 

 

 

さて、本題に移る。

 

小学生の頃から気づけば好きで、図鑑をずっと眺めているような子供だった。

わたしの住む片田舎では(単純に人が少ない)あまりみられないような図鑑でしか見たことない犬種に出会った時の興奮がたまらなかった。

 

 

 

大きい犬、小さい犬、細い犬、太い犬、筋肉質な犬、だるんだるんな犬。

毛の長さ、毛質、骨格、、

違う種類の生物では?と思うほど違うのに、全部「犬」。

そして、どちらのがいいとか悪いとかではなく、全ての犬に魅力がある。

「ああ、あの子は胴が長いから、洞穴の中の狩が得意だね」

「あの子は昔水難救助してただけあって水が大好きだね。あの被毛は水を弾くらしいよ」

「暑い国の出身だから寒さには弱いみたいだよ」

「日本犬は警戒心が強いけどそこもまたかわいい。番犬になるね。」

 

身体的特徴や気質メリットもデメリットも当然それらの、個性が、個性として、認められているし、必ず好きな人がいる。

なんだかそれがすごく心地よくて、個性を知ることが嬉しかった。

 

 

もちろん、「犬種」マニアとはいっても、

血統だけが正義ではないと思っていて、

いわゆる雑種と言われる子たちは、

どんな先祖がいるか、先祖の犬種も分からない形も含めて、

「個性大爆発!」と思っている。

 

「この骨格はテリアの血を引いているのかな?」

「だからこんなに元気なのかな?」

「お母さんのこんなところを受け継いだのね〜!」

「田舎の雑種の圧倒的日本犬感!(ラブ)」

 

この唯一無二な個性により惹かれる人の気持ちも分かる。

 

 

もしかしたら、若干無理のある意味づけかもしれないが、

今のわたしの価値観や人生観、仕事観にも通たるものがあるなぁと。

 

その人の持つ性質が、個性として有る

受け入れられてそれぞれの難しさを知った上で

それぞれの良さを見出せて、受け入れられる

そしてみんなが共存する。

 

そんな世界を求めていて、

なおかつ個性に興味がある。

 

 

 

 

 

さて、昨年わたしは犬を迎えるにあたって、

全国のブリーダーさんについても少し調べる機会もあった。

 

ちょっと調べただけの浅はかな知識と印象でしかないけど、

ブリーダーという仕事の奥深さに敬意を感じた。

 

近年、ペットショップでの生体販売が問題視されていることはよく耳にする。

そんな中でブリーダーの質や在り方についても様々な協議がされていることも。

 

 

その犬種の「スタンダード」というものがあり、

体高や体重、毛の色、立ち姿のバランス、耳の立ち方等ひとつとっても、細かく定められている。

 

「そんなこと言って、じゃあそうじゃない子は劣等生なの?」

そんな議論もよくされているが、

もちろん「個体としてはオンリーワンでナンバーワン」というのは大前提。

これまでのわたしの話を通すと、「そういうのはちょっと…」って言いそうだと思うけど、それもそんなことなくて。

もちろん大前提が大前提。

そこを大切にしないブリーダーはブリーダーとして失格である。

 

だけどこのように「スタンダード」を守る人がいるから、種が守られる。

そして、その種のことを分かっているからこそ、遺伝的に多い、気をつけなければならない疾病など、交配について最善の注意を払うことができる。

だから種が正しく、健康に守られる。

生物として子孫を残すことができている。

種として存続される。

 

 

それが「命を扱う責任と使命」であると思うのである。

 

 

 

 

 

そんな一方で。

そんな種のカテゴライズをしているのは、

人間なのであるという事実も突きつけられて、

ハッとさせられることもある。

 

金子みすゞさんの詩で、「草の名」というものがある。

 

 

 

草の名

 

人の知ってる草の名は、

わたしはちっとも知らないの。

 

人の知らない草の名を、

わたしはいくつも知ってるの、

 

それはわたしがつけたのよ、

すきな草にはすきな名を。

 

人の知ってる草の名も、

どうせだれかがつけたのよ。

 

ほんとの名まえを知ってるは、

空のお日さまばかりなの。

 

だからわたしはよんでるの、

わたしばかりでよんでるの。 

 

 

 

 

 

この詩に出会ったのも小学生の頃だったけど、

歳を経て噛み締めれば噛み締めるほど深いなと思う。

そしてそれは個人的な想いが重なった時に抱く気持ちだ。

 

 

人間がつけた名も、カテゴライズされた分類も、

でもそこには生態学的な意味があって分類されている。

これまでのたくさんの人たちが研究して分類されて、だからこそ守れた命や乗り越えた困難も多く有る。

生態系、食物連鎖、、、

 

 

 

 

どちらが正とかか、そんな話ではないのだ。

 

 

 

 

 

人間のせいでなくなるものもあれば

人間のおかげでまもられるものもある

 

人間は、自身の進化ではなく

環境を変えることで種を守っている

独自の進化をした唯一の存在である

 

某博物館で書いてあった文章。

なるほどなぁ〜と。

 

 

地球温暖化や、環境汚染、

人間の影響で変わってしまっているもの

もちろん変えていけるところは早急な対応が必要

影響を考えた上で選択して行く責任がある

 

 

ただ、地球や生命といった大きい括りで見たら

それすら想定の範囲内なのだろうと平伏す。

縄文杉を見に行った時、大自然を目の前にもそう思った。

 

 

 

とりとめとなく話しているから、

ゴールがわからなくなる、あるある。

 

とにかく、みんなちがってみんないい

真の意味でそんな世の中になればいいのにな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022.11.20 GLORY DAYSツアー

いつもだったら、Twitterに記す気持ちたちを

ためしにブログに記してみる。

 

Twitterだからこその気軽さもあるだろうけど

あえて、そのまま、

フレッシュでホットな気持ちを…。

なので読みにくいかも。

 

 

 

※ネタバレ含みます

  

 

 

 

 

今回のツアーは、原点回帰のような、

彼らの大切な節目を遡るような辿るような、

そんな気持ちになるライブだった。

 

辿る、というか、、なんだろう。

コブクロのこれまでの歩いてきた道というか

ある種の「ルーツ」を辿るような選曲たち。

 

 

ふたりが、誰よりも大切にしている曲たち、

つくったときや歌ったときの気持ち全部を

大切に見返しているような。

 

 

恋愛観測のリリースからも感じていたけど、

時間の長さだとか距離の遠さだとか、

心をこう、ポーンと遠くに投げたような。

実際の距離ももちろんそうだけど、

声を通して交換できないこのライブの時間を

そんなふうに感じている気がして。

 

 

 

そんな世界の恋愛観測が、はからずしも

もうなんだか遠い時間のように感じる、

あの太陽での北海道での公演から

時間と想いを超えてやってきたような。

 

そして、ツアータイトルだったあの太陽と

今回万博を控えてテーマにした「この地球」の規模に負けず劣らず。

しっかりと繋がっていたような気がして。

 

 

本当、恋愛観測はいまこのツアーの為に、

あのタイミングに音源化されたのだろうと

思えてしまう。

うん、「その時が来た」のかもしれない。

 

 

 

 

今日のライブは、

言葉を置くように歌う黒田さんが印象的だった

言葉を強く抱きしめるように歌う小渕さんが印象的だった

うまく言えないんだけど、いつもとまたちがう

歌詞との向き合い方を感じたの。

 

 

そしたら、こぶちさんが話してくれた、

黒田さんがあの太陽〜を、これまでとは違うアレンジで

また違ったかたちで歌詞を、言葉を届けたい

と話していて、今回アレンジしたと。

 

はあ〜〜〜だからかも、と思った。

 

 

 

 

 

コロナ禍に開催した、スターメイドツアーや

ノクターンライブのときよりもまたひとつ違った

「いまの世界」との向き合い方を感じたし

まだまだ制限も我慢も葛藤もあるなか

ひとつ「自分たちのライブはこれだ」という

確信のような気づきもあったような気がした。

 

「自分たちの音楽の楽しみ方」をもって、

いろいろなことにトライしてる姿が印象的だった。

 

 

ひとつひとつの曲たちのこと語るとキリがないし、

こまかいアレンジまでは覚えていないんだけどさ

 

 

あの太陽、時の足音のアレンジも。

実は生で初めて聴く恋心も。

 

高校生の時、コーリングの、発売時夢中で

聞いていたときのこと、ゆのと話してて

なんだかとても懐かしく…嬉しくなった。

mixiでファンの人と絡んだりし始めたころ、

コーリングで好きな曲でよく挙げてたなあとかね)

 

 

 

そうそう、

新曲の歌詞を少しずつブログで公開していたことも

ある種新しい試みだったと思うんだけど、

なんだかそれも原点回帰なような気がした。

不思議と、歌詞を辿るように、

物語の展開をわくわく楽しみに待つようなのが

「懐かしいなこの感覚」と思ったのだよね。

 

(リアルタイムに読めていたわけじゃないけど)

 

 

歌詞を辿るように読み進めていたことも

描写する情景も含めてバラードと思っていたから

びっくりした!ああいう歌謡曲のような、

レトロのような雰囲気もある曲調のこと、

なんでいうの?

 

 

 

 

 

 

 

 

歌詞をあらかじめ配布してくれていたの、

わたしは聴く前の心づもりができてとても嬉しかったし、

2人らしい気遣いと優しさだなと思った。

そして、持ち帰れるってことは、

歌詞を後からも読み返せる!

嬉しい副産物もあったのでした。

 

そう思う1番の理由は、やっぱり「足跡」。

 

なんだか、ライブで披露される新曲で

こんなにも初聴きで心を引き込まれたもの

涙が溢れてしまったのも、久々だったの。

 

歌詞を前もって読ませてもらって、

「ロックくんこことかな?」なんて思ったけど

とはいえ、ここまで「いつかくるであろう最期」を連想させる直接的な表現をわざわざするか?

なんて少し違和感も感じながら。

 

だけど、曲説ではなしてくれた、病気の話。

だからか、と息を飲んだ。

 

 

それからは事前に読んでいたおかげで

すっと入ってきた歌詞たちと、

だからこそ噛み締められた歌詞たち。

 

 

 

実家のさくらは最期は認知症の症状はひどかったとはいえ、

歳と共に徐々に衰えていく姿をみていたし

これらが老衰によるものなのだろうと受け止めていく時間があったけど、

 

 

治らない病気と付き合いながら、

「今日は、調子がいいなぁ」なんて

ホッとしながら願いながら過ごす時間は

わたしには想像がつかないなと。

 

そんななかでの10歳のバースデーの更新だったんだね。

知らなかったことを恥じたし悔いた。

 

 

 

小渕さんは、「父が亡くなった時も、母が亡くなった時も歌を書いた」と。

今回は、元気なうちに、抱きしめられるうちに、夢のような時間に、曲を書いた。

 

なんて、素敵なことだろうと思えてならないのだよね。

誰かのために、その瞬間のために、曲をかける。

やっぱりわたしは、なにかをつくる人、

なにかを表現する人に強く憧れを抱く。

そう思ったいちばんはじめの人が小渕さんだったかもなぁ。なんて。

 

 

足跡の歌詞、大切に噛み締めてる。

 

葉桜の散歩道、濡れた落ち葉。

蕾で肩に花びらを乗せて笑ったのも桜並木だったなぁ、なんて。

そしてわたしもさくらとの思い出で1番に浮かぶのは、

桜並木の散歩道なんだ。

 

そんな立派な桜並木ではなくて、田んぼの畦道に

誰かが植えたんだろうなという桜が何本か続く道。

 

犬の散歩か、その田んぼの地主さんしか通らないような道。

そんな桜並木を散歩する景色を思い出す。

 

葉桜、濡れた落ち葉。

初夏や夏の中、「葉桜」という言葉をよく用いるけど、

きっとこの葉桜はその季節ではなくて。

 

病院で話を聞いたあとの景色なのかな。

ツアーの始まる前だと言っていたからもう少し夏かな、曲を書いていたころかな。

秋と呼ぶにはまだ少し早い頃かな。

台風で落ちたまだ紅葉する前の葉なのか。

そうなると、濡れているのも合点がつく。

 

 

なんだか、落ち葉を歌詞に描くときに、

わざわざ「桜」と明記することが意外で、

桜って春と時々夏、以外は桜であることを忘れられてしまうと思うの。

そんなところで描くのがある意味こぶちさんらしいし、

きっと小渕さんのなかで「桜」であることが大切な景色なんだろうなぁと、

 

同じように桜の散歩道を思い出にもつわたしは思ったのである。

 

 

「もっとそばに居ればよかった」

もっとしてあげられることがあったのでは、と

残される側はどんなに尽くしていても感じてしまうと思うし、

そう分かっていても、どうしても数えてしまうなと思うの。

 

どんなに家族として接していても、

いや、家族として接していればいるほど

種を越えるということはそういうことだと思う。

 

 

でもそんななかで

「会えなくなるのはこの世界だけ」

という歌詞が出てくるのが、

とても救いだと思えたし、

小渕さんらしい視点だなぁと。

 

そんなふうに、捉えられたらいいな、と。

 

 

 

「そばにおいで」という歌詞に隠れる

「おいで」という言葉がまた、、

何度もかける言葉だし、絶対に愛のある言葉

嬉しいしハッピーな言葉、優しい言葉だから。

ロックくんを想ってのあえて、の「おいで」なのかななんて。

 

くりっとした丸い瞳も軽やかに走る姿も

イタリアングレイハウンドだからこそ

より鮮明に浮かぶ、ロックくんの姿。

 

「どこまでも走れ」という言葉も

「丸い瞳」の表現もやっぱりこの歌詞は

ロックくんのための歌詞だと思う。

 

 

 

またね、メロディーがとてもシンプルで。

とっっっってもよかった。好きだった。

これは、お母さんに聞かせたいと思った。

 

だからこそ、ライブで披露された新曲が

「はやく音源になってほしい」と

久々に強く思った。

 

最近は嵐のように過ぎていく時間のなか、

音源化されたものすら追えていない日々だったから…。

 

 

そして、帰ってはやく、家で待つあの子を

抱きしめたいと思った。

 

 

 

 

足跡への思いも綴ったけど、

ライブ前にゆのと話した時間も含めて、

なんだか、このライブを通して、

改めて強く心に思ったこともあって。

 

いろんないろんな理由もきっかけもあるけど、

やっぱりわたしはいまの仕事との齟齬を感じる。

 

 

わたしは、支援をとおして、

そのままのあなたでいていいんだと、

存在を肯定していきたいのだと。

 

今の立場を全て否定はしないし、

不要だとも思わないけど、

「わたしでなくていい」ともおもう。

 

少なくとも、わたしがしたい関わりではなくて

わたしの良さも生かされないように思う。

そしてシンプルに、苦手なことに向き合うのもしんどい、、。

 

我慢すべきこともそのなかで学ぶこともあるけど。

それも含めて経験したことには意味があるとは心から思うけど。

 

今のわたしの心はそこにしがみつきたくないし

しがみつく必要もないのではと思う。

 

そう思ったことはこんなに力強く綴れるけど

とはいえ、いろんな感情が浮かんで、

いざとなるとそうも簡単にいかないけど…。

弱気な自分もたくさん出てくるけど…。

 

でも心ではもう、分かってしまっているんだなぁと。

背中を押してもらったと思って、大切にしよう。

そう思って、このブログを書いたのもあるのである。

 

また今度、細かい気持ちは、綴ろう。

 

 

ライブからの帰りの電車、

1時間15分くらいで取り急ぎ記す、気持ち。

 

 

あ、そうそう、引っ越しが初めての

茨城からいくさいたまスーパーアリーナ

ちょっと距離は遠くなってしまったけど

高校生の時ドキドキしながら朝早くから電車に乗って

向かう茨城からのちょっとした長旅。

いや、高校生の私たちには大冒険だった。

 

なんかそんなゆのとの時間も思い出したの。

ライブ後の鳥貴族は行けなかったけど(悔)

「距離」に対しての想いを馳せる。

 

 

うん、記せてよかった。

 

 

 

幼きわたしに想いを馳せる

いぬを飼い始めて、

幼き頃の自分に想いを馳せる時間が増えた。

 

わたしは、人の「好き」にとても興味がある

特に子どもの「好き」には絶大なるパワーを感じている

 

それは、幼き頃の自分の、

「好き」に対しての想いがあるからだ。

 

 

 

 

小学生の頃、
犬が好きで、犬が好きな自分が
好きなことがある自分がアイデンティティだった。

 

今日は幼きころの

わたしの話、。

 

 


街で見かける犬の種類を友達に聞かれては鼻高々だった

今も苦手なカタカナでも不思議と覚えられた

海外の国や都市の名前や環境にも興味を持った


田舎だったのでめったに出会わない、

図鑑でしか見たことのなかった犬種を見たときの

胸の高まりと興奮がすごかった

 

犬の実写の?シールが欲しいけど、いろんな種類のものはなかなかなかったから、広告やら雑誌やらで犬の写真を切り取って保管してた笑

しまむらとかの広告のペット服とホームセンターのチラシが有力。あとめちゃくちゃ増えるシーザーのホワイトテリア)

 


単純に趣味で当時図書館で予約して1時間/日 単位でしか使えなかったインターネットで、JKCの日本での登録頭数の一覧を種類と頭数を全部メモした(印刷はできなかった)

たぶん1週間くらいは通ったのではなかろうか…。

 

 

見かねた両親や叔母が犬に会えるテーマパーク

つくばのわんわんランド、群馬の名犬牧場、幕張メッセでやった犬のイベント(←これなんのイベントだったんだろう)

 


わんわんランドで初めて膝に乗ってくれたホワイトテリアと

初めてバーニーズに会えたときと

鎌倉の修学旅行の朝にアイリッシュウルフハウンドに会えた時と

(その気品に鎌倉はやっぱり違うんだなぁ!と思った田舎の小学生)

 

チャウチャウ二頭飼いしてた人に会って触らせてもらったときの密度の衝撃と

一瞬人間と空目したはじめてのスタンダードプードルとの出会いと

熊が街に降りてきたと思ったニューファンとの出会いと

近所のおうちでオールドイングリッシュシープドッグが来た時

子犬を目にして思わず声をかけに行ったことも

学校にたまに遊びにくる小学生にべたべたされても穏やかにしている秋田犬二頭も

学校帰りに犬ポイントが数カ所あったことも

すごくすごく鮮明に覚えているのである。

 


だからきっと、当時のわたしがぼんじょびに出会ったら

とてもとてもとても嬉しいと思う。

 

とってもとっても嬉しいだろうと思うと

涙が出てきそうになる。

 

 

 

卒業文集にはトレーナーになりたいと書いて

犬のぬいぐるみにリードつけてしつけの練習もしてた

後にさくらを迎えて、生き物を相手にする難しさやら

「こうせねばならない!」という感情の苦しさを感じ

気付いたらその夢を諦めていたのだけど……

でも不思議と挫折感のようなものはなくて

本当に「さくらが教えてくれた」のだと感じてる。

 

 

 

だからこそトレーナーさんや

生き物に関わる仕事をしてる人のこと

本当に本当に尊敬するし憧れがある

 

 

 


初めてさくらに会ってウレションされたとき

本当に嬉しかったの覚えてるし

初めて抱っこしたときのこと覚えてるもんなぁ。

(興奮しすぎて動きまくって謎に椅子の背もたれと背中の間に挟まってた)

 

 

 

そうそう、

学校の読書タイムには犬の図鑑を読んでいた子だったのだけど

(図鑑じゃなくて活字の本を読みなさい、と注意されたんだけど、

活字があまり得意じゃないこともあり、図鑑の説明文なら何度も繰り返し読めていたわたしはなんだか腑におちなかったのを覚えている…。

 


わたしは興味があることならば、図鑑でもいい。みんなと一緒にやらないといけないよりも、その子の背景のやりにくさにも目を向けて、興味を尊重した関わりをしたいとこの時から思ったの。

 


(先生も、県や市や学校からの教育方針のなかでの決まりの狭間にいたり、1人許すとキリがなくなってしまうことだとか、(漫画でもいいでしょう?)みたいな子とかも出てくるもんね。

わたしは漫画でもいいとは思うけど、当時「年間で本を100冊読みましょう」的な取り組みしていたし…。

(わたしは絵本とかもカウントしてたの秘密)

 

この価値観とか考え方って、きっといまの自分にも仕事にも繋がってるなぁと思うのである。




卒業アルバムの将来の夢には「ドックトレーナー」と書いていた。
(さくらのしつけの全てを任せられ気合が入っていたが
とにかく挫折の日々だったことがあり
でも周りに聞ける人も情報も少なく
気付いたらその夢もはかなく消えてしまっていた。
今思うと、偏った知識と固まった考えで
さくらにもきつい思いさせたように思う。
とはいえ、小学生にもかなり酷なプレッシャーだったとも思う。
甘えたいさくらと、しつけないとという気持ちの葛藤で甘噛みするさくらを抱きながら泣いた日のこと今でも思い出す。

中学の職場体験では友達と動物病院を新規開拓した。
この職場体験がとてもいい経験になって、
さくらも通っていた地元の後輩の家でご夫婦でやっている動物病院で、
動物ファーストなので、ただでさえ緊張しているところに中学生が4人見学にくることがどれだけ怖いか、飼い主さんには了承を得られるが犬には得られないでしょう、と話をしていただき、条件として診療がお休みの日にやること。
あくまで見学と説明で「体験」はできないこと。
中学生の当時、自分たちで電話して主旨を説明して、新規開拓をするなか、
なかなか厳しいことを言われたという印象だったけど、
今になると本当にいい経験をさせてくれたと思う。

体験は一切なしだったけど、
使用する器具や機械の説明、
どんなところを普段診ているのか、
入院スペースや手術室も覗かせてくれた。
説明も、ペットの話だけではなくて、
家畜の診察の話、家畜にたいする安楽死という選択について。
厳しいことをたくさん教えてくれた。
ここでもまた動物に関する仕事の責任の重さに自信を無くす、のであった。笑

 

当時、犬を実際に育ててみて、職場体験に行って、自然と夢として追わなくなったけど、ちょっと後ろめたさもあったけど。

でも不思議と挫折とは、感じなかった。

 

わたしのなかでのいぬとのかかわりかた、さくらが教えてくれた。さくらがいてくれたから、こうして大人になっていぬを家族に迎えようと思った。

 

 

そんな巡り合わせがうれしくなった。

 

 

街で出会う子どもたちの記憶に

ぼんじょびの存在が残るのかもと思うと

ここでもやっぱり嬉しそうな幼きわたしが浮かぶ。

 

みんなの、それぞれの、「好き」にはそんなパワーがあると思うんだ。

たいせつにしたい、きもち。

 

 

まとまりないけど、考えだすと一生更新できないので、走り書き。

 

 

 

 

2021年のわたしと2022年のわたし

 

あけましておめでとうございます!

 

 

2021年の振り返りをしたいと思って

なかなかできていなかったのですが

久しぶりにブログを覗いたら、

言葉たちに当時の瑞々しさがのこっていて

更新率が少ないからこそ残さねばと

2022年さいしょの奮い立ち。を。

 

全く書いていないと思っていたけど

上半期では少し更新していたのと

少しだけ下書きがのこっていた。

忘れているくらいのことだけど

そのどれもが、愛おしかったんだよなぁ。

「おしゃべりなわたし」の存在にも気付く

 

「ブログを書く」時、確保したい。

 

 

Twitterやインスタにつらつら綴るくらいの感覚で

ここにも綴れたらいいのになぁと思ったり

いやでもこのワンクッションが必要だったり…

バランスというのは難しいものですな

 

 

 

 

2021年を振り返ると…
「わたしたちと家との暮らし」
に尽きるかなぁと。

 

引越しに併せて転職もして
地元に戻り車生活にもなり
生活がガラリと変わった年でした

おそらく人生の中でも記憶にも残る年

大きく変わることが多かったけど
変化というよりは「戻ってきた!」
ような感覚が多くあった1年でした。
地元に戻るという距離的な意味だけではなく、ね。

 

 

またそれを機に?ばたばたと過ごしていたため

音楽との向き合い方も少し違った1年だった。

ワイヤレスイヤホンを紛失していたことが1番大きいのと

車で聴くことになったのと家で音響を整えたこともあって。

だからこそ通勤時には本を読むことを意識できたのもあるのだけど。。

 

だけどやっぱり一対一で向き合って

自分の内に音楽が染み渡る感覚は

久しく逃していたなぁと思うのである。

 

 

先日友人と話したときに、

2021年にいったライブの話題になって、

少しハッとしたのよ。

 

わたしはコブクロに今年も会えた

そして高橋のツアーに初めて行かなかった

だからどうっていうよりも「ハッとした」

 

そしてなんと、今年買ったCDは一枚もなかった。

時代が変わったと言えばそうだろうし、ある種

時代が選択肢を広げたという観点もあるだろう

だけど、やっぱりしっくりくるかたちが自分にあって

そこに戻っていく感覚もある。

 

 

んもう、ことあたりについても話をしたい。

 

 

 

 

 

 

さらに祖父の死もわたしたち家族にとって

とても大きな出来事であったのは言うまでもなく。

家族の在り方、将来の親の介護のこと。

そしてわたしはどうやって死にゆくのか。

そんなことまで考えてしまう機会だった。

 

最期に祖父に花を手向ける祖母の姿が

とてもとても美しかった。

 

これについても、話したいと思っていた。

書きたいことはたくさんあるし、

ブログが長くなりがちなわたしは、

書こうとしている内容の項目を

さらに細かくして書いた方がいいのだろうと

薄々気付いてはいるのだけど…。

 

うん、そこが目標なのだろう。

読書のときと同じように、

自分で勝手に築いてしまっているであろう

ハードルや固定概念を崩していきたいなぁ。

 


うん、2022年は、新しいことはもちろん、
2021年はばたばたとしてできなかった
今まで身近にあったものたちを
ひとつひとつ再開していけたらなぁと思う。

 

音楽を聴くこと

イラストを描くこと

ブログに記録すること

手話ももうちょっと活動したい

 

 

そして新しく始めたこと。

ガーデニングを始めて初の季節を感じるのが楽しみ。
これからこの家と街で出会う景色も
たくさんあるのだろうとワクワクさせてくれる。

 

 

こうして並べてみると音楽と言葉と

うちにあるものを表現することと。

結局変わらないものが根底にあるのかもしれない。

 

 

これを見てくれているみんなはきっと

ずっと見てくれているみんなだから。

そんなわたしの2022年を見守っていて

たまに一緒に楽しんでくれたらなぁと思います。

 

変わらずよろしくね。

 

 

 

 

 

映画をみてきたはなし

母に誘われて映画を見てきた。

よっぽどではない限り映画館にいかないので、なんと2年ぶり。

映画館に行ってみて(田舎だからということもあるだろうけど)人はまばらで感染症対策もしっかりしていて、そもそも話したりもしないだろうし、換気もされるし、風評被害もすごいもんだなぁ、と思った。

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とはいえ、こんなご時世なので、ぷらりと観に行くという機会も減っているのだろうなぁと思う。今回チケット売り場に来て映画を選ぶということを久しぶりにしたけども、お母さんに連れられてくる映画は、昔からそういう出会いを与えてくれていたのだなぁとなんだか不思議な気持ちになった。

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今回観たのは「ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜」

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Wikipediaより

長野五輪におけるスキージャンプ・ラージヒル団体において2回目の競技を行うために、吹雪の中でジャンプを敢行した25人のテストジャンパーの物語を実話を基に描く[5]。長野五輪においてテストジャンパーの1人として活躍した西方仁也田中圭が演じる[5]。

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長野オリンピックのスキージャンプの金メダルはわたしでも知っていたけども、めちゃくちゃすごい記録(抽象的がすぎる)を出したことと、「船木ぃ」と泣きながら話す映像をよくみるということと、よく物真似されたりいじられたりするということ。そもそも船木ってどの人だ?言ってる人はなんていう人?今回の主役は誰?たしかズームインに出ていた人がスキーじゃなかったかな?K点ってどこのこと?くらいの知識量。とっても失礼。

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1998年わたしは当時4歳だった。

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ストーリーは割愛、ネタバレにあたるものも含むかもしれないけど、映画の感想を綴る。

 

 

■人には人の、事情と背景と、想いがあるもんだ

テストジャンパーという役割を恥ずかしながら知らなかったけど、その役割ひとつをとっても、オリンピックへの想いひとつとっても、いろんな立場といろんな葛藤が入り組んでいるもんだと、改めて思う。

そして、想像力を働かさないとと思う。

その人にとって、プラスの意味でかけた言葉も、まったく逆の思いで伝わり、締め付けてしまうこともある。

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人の数だけ、ドラマがある。そして傷もある。

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わたしにとって羨ましい恵まれた状況もその人なりの葛藤があることもある。何気ない一言がとてつもない凶器にもなり得る。

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そんな可能性があることだけは肝に銘じておきたい。

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■知ることで深みが増すものだ。知らないって損だ。

わたしは熱中すると、ようやくそれを深く深く掘り進めていくタイプであることもあり、逆に言えば熱中しなければ掘り進められない。だから広い世間一般の事柄に詳しくない。

 

だけど、やっぱり、「知る」ということは、楽しいことが増えていくなぁと最近とても思う。

知識は人を豊かにする。物事ひとつとっても見え方が全然違う。大きくも見えるし立体的に見える。解像度が増すという表現が言い得て妙かもしれない。

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テストジャンパーという役割があることも(なんとなく、本番の前に飛んでいる人がテレビに映っているのはみたことがある)

ああいう風に代表が選ばれるということも、(本人も会見で知るものなの?!)

女子スキージャンプがオリンピック競技になったのは2014年ということも、

この映画を見るまで知らなかった。

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スキージャンプを見る目も、今まで何度も目にしてきた長野オリンピックの映像を見る目もかわりそうだなぁ。

何事もそうだけど、知った途端に、身の回りにそのことがらが溢れていたことに気づき出す。知らないと、気づくことすらできないものだと。

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知識と関心が増えることで、世の中もより鮮やかに見えるのだろうなぁなんてバカ真面目に考えている。

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■マイナスな感情を表に出すこと。

この映画を見て気づいたのだけど、わたしはどうやら事実や史実をもとにした作品が好きなようだ。

もちろん、映画として着色されていることも、うまくまとめられていることも念頭に入れた上で。

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この映画を見た後も、事実と創作の照らし合わせ、実在した人物の生い立ちや人となり、逸話。

夢中で調べていた。

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そして同時に思うのは、今回の主役である「西方仁也氏」にも通ずることなのだけど、自分自身のマイナスな感情を公にすること、また、自分を主役に物語を作った際に、いわゆる"悪役"となる人物が現れること。

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原田選手が飛ぶ瞬間にまで、「落ちろ」と念じた、その気持ちは、いつまで自分の中に隠していたのだろう。なんなら、いつまで同じように感じていたのだろう。

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どのように思われるだろう、どのように受け止められるだろう。

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「わたしにはできない」

と思いながら、こうしてブログを書いている。

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そして、「ああ、わたしは"いい人"でしか在れないんだなぁ」と思う。

それがいいとするか悪いとするかではなく、ただ、「そうなんだなぁ」と思う。

少なくともわたしは「そんなもんなんだなぁ」と自分を思う。そして後ろめたくなる。

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もしかしたら、そういった登場人物から、人間らしさや、そういった感情を抱くことに、安心を得ている、ずるい人間なのかもしれない。

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■オリンピックは国の事情だ。

世の中がオリンピックを巡り日々熱を出しているこのタイミングで放映されることや訴えかけたい内容は、半分計算、半分計算外、なんだろうなぁと思う。

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選手やそのまわりの人たちの、オリンピックにかける想いを目の当たりにして、こんなにもひとつの大会に想いを寄せる人がいて、こんなにも人生をかけている人がいるんだと慄く。

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そんな想いを抱える人たちがいるのだから、オリンピックができたらなぁという思い以上に、「どうしてこんなことになってしまったのだろう」という落胆の気持ちが大きく膨れ上がった。

コロナだけじゃない、世の中にだ。

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そして、この作品を見て1番強く思ったこと。

嵐のなかで、オリンピックを中止にするかどうかを審議するために提案された、

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「テストジャンパー25人が全員飛べたら、安全であるとみなし、試合を続行する」

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という事実である。

震え上がるような感覚に陥った。

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映画だから、うまく丸く収まって、むしろ結託の材料となった。ましてやこれを通してテストジャンパーという役割に誇りを持ったようや表現にされていたけど、実際はどうなのだろうか。

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いや、もし25人全員が、映画のように結託してこの決断をしていたとしても。

この「オリンピックを続行するために」「日本が金メダルをとるために」25人の命と安全を差し出し、天秤にかけられていた事実。

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そこまでして、続行しなければならない、

そしてそれを提案してしまうという状況と事実。

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23年前だけの話だろうか、そんなこと、ないだろうな。と思えた。むしろ本気で、真面目に、そんな論争が行われているのだろう、国レベルの事情があるのだろうと思うと。

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落胆と悲しさと無気力。

そしてうまくまとめられたストーリーに、きっと今回の件この1年間も、長い歴史の1ページとして"うまくまとめられて"しまうのかも。

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力が抜けていくのが分かった。

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そのまま物語はラストスパートに進んでいく。

取り残されたわたしの気持ちは、そのままに、濡れたマスクの中にこもる熱に映画の後に食べたサーティンワンアイスクリームが溶けて染み渡っていくのを感じた。

外は陽が落ち、空の色が何色とも形容し難い風合いになっていた。

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冬はつとめて

いやいや、夏を目前に控えた梅雨のいま、なにを言い出しているんじゃいというタイトルだね。

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先日テレビ番組で

枕草子の、冬は"つとめて"はどの時間帯を表しているか」

という問題が出題されていたの。

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(そう、「あなたは◯◯より賢いか」ってあれ)

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その時思い出した、当時の記憶。

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「春夏秋冬、それぞれどの時間帯が好き?」

単元をすすめる前にみんなに聞いてくれた。

そういうカリキュラムになっているのか、先生が意図的に聞いているのか、その辺はわたしにはわからないのだけど、

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「冬は朝早くだなぁ」と話すわたしに、「えーーただでさえ寒い冬に、朝はとびっきり寒いのに」とグループのみんなから総ツッコミをくらった。

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わたしも、なんなら人より寒がりだ。そのグループで1番かもしれない。毎朝布団から出られず「冬の早朝」とたたかっている。できるなら外には出たくない。

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だけど、外に出た時に鼻がツンとする感覚も、

息をはきかけた手が湿る感触も、

誰も踏んでいない凍った水溜りにヒビをいれる優越感も、

霜柱を踏んだときの軽く軽快な音も。

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そう、「その季節の匂い」を感じる時間だったから。

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そんなやりとりの後に、紫式部は、

「冬は"つとめて"」とうたったことを知る。

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別に正解があるわけでもないし、先生もクイズを出したわけではない、

だけど、清少納言と共感できたことが嬉しかった。

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たったそれだけのエピソード。

何年生の時だったのか、同じグループには誰がいたのか、そんなことは全然覚えていないのだけど、ただその時の「嬉しかった」抽象的な事実が、記憶されていた。

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勉強したり暗記したわけではなく、そんなエピソードが、いまのわたしの記憶につながっているんだなあ。

そして、そういう記憶ほど残るのだろう。

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会話や物事の背景にエピソードがあって、それを覗かしてくれる人とは、話していて楽しいと感じる。だからわたしもエピソードを重ねてページ数を増やしていきたいなぁと思うのである。

それがたとえ自分の話でも、周りの人の話でも。

歳と経験を重ねるおもしろさってそういうことなのかな。

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なんて考えた。

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そして、きっとこうして、忘れていたくらいの、誰かに話すほどではなかったエピソードたちだけど。そんなエピソードにこそ、ここの場所に、綴ってあげたい。

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こうして、記憶に残っていること、人生にきちんと残っていること、先生にも伝えたいなぁと思ったの。

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それは、わたしが仕事で、「種を撒く」ことを意識してきたからこそなのかもしれない。

そして最近友人ともそんな話をしていたからかもしれない。

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間引かれたか、枯れてしまったか、確認もしないけど、気づいたら育っていた、戻ってきたらそこでそっと咲いていた、そんなこともあるのかも。

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少なくともわたしの人生にはそんなものがたくさんある。

たくさんの種がきっと撒かれているのだから、

その芽に気づけるように水をあげて、目を向けて歩いて行けたらいいなぁ。

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そして、可能な限り、種を巻いてくれた人に、伝えていきたい。伝えられる人になりたい。

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わたしたちの住む街

わたしは「君の住む街」に関わるうた好きだ。

そこには、その人の生い立ちや歴史がある気がするから。

その人にしかわからない情景があるから。

街並みに、建物に、物に、思い出が宿るから。

 

また、うたでは、それらをひっくるめて大切にしてくれているような気がするから。

 

 

 

わたしも、18歳まで過ごした地元、

大学進学を機に初めて過ごした寮生活、

寮を出て、上京してきた兄とのふたり暮らし、

就職した街でのひとり暮らし、

東京を少し離れての彼とのふたり暮らし、

 

生活に合わせた5つの街での暮らしがあって、

そのどれを切り取っても愛着がある。

その街や駅の名前を聞けば身を乗り出す。

 

 

また、大学生だったからこその過ごし方もあって、

「今だったらもっと満喫できるのに」「もっといろんなお店にいけばよかった」

なんて気持ちも含めて、わたしのその街との思い出なのだと思う。 

 

 

 

2021年の夏、東京オリンピックを横目に、6つめの「わたしの街」を迎える。

そしてこれが最後の引越しになるかもしれない。

そして、地元よりも長く過ごす街になるかもしれない。

 

 

 

引越しを決意したのは、夫からの提案。

コロナ禍でリモートが増えてきたことから、

前から憧れがあったマイホームを検討し出したの。

また、世間でもよく聞く「都心近くに家がある必要がなくなったから」というやつである。

 

マイホームを構えるにあたって、予算の都合から離れるしかなかったことも当然あるのだけれど、ふたりの希望である「一軒家」「庭がある家」「BBQができる環境」「できるこもなら大型犬を飼える家」という項目がやむを得なくした結果である。

 

 

 

 

今のアパートも街も大好きだったので、ここで子育てをするのかもしれない、その子が大きくなって手狭になった頃、マイホームへの憧れが募るかもしれない。

なんて思っていたけど、順番が逆になった。

それに伴い仕事も変えることになった。

 

頭の中で描いていたライフプランから急に変更になったことで戸惑いはあったけども、ふたりで話しあい、納得した選択できた。

 

 

 

 

それから、子どもがいない暮らしも、イメージしながら過ごすようにしている。

子どもを基準としたらライフプランだけでなく、さまざまなことがらに対応きる柔軟性と選択肢を増やしていきたいと思う。

わたしの周りには子どものいない生活をしている夫婦が予想以上に多く、いろんな生活のモデルがあるのはありがたいことだと思う。

 

 

 

次の「わたしたちの住む街」は、

わたしの出身県のとある街。

地元の市からは車で40分程度?

近所ではないけど遠くはない。

世間で言う「Jターン」にあたるらしい。

 

 

この街を選んだのは、

わたしたちのしたい生活を実現できるかつ、

夫がたまにある出勤日にぎりぎり通えるライン。

そのふたつを叶えられる地域の候補のなかから

「せっかくなら地元に近いところを」

という理由。

 

 

だから、「わたしたちのしたい生活、住みたい街」が先で、そのあとに「わたしの実家が近い」がついてきている。

 

このポイントが、実はわたしはとっっても嬉しい。

 

 

「奥さんの実家の近くにしたのね」

「ご両親も喜ぶね」

「子育ても助かるね」

 

それらの意見もすべてすべて、その通りだし

わたしのなかでの嬉しいポイントであることは間違いなくて。

 

ふたりで選んだ街であること、

わたしのための街ではないこと。

これが根底にあることでしっかり立っていれる気がする。

その気持ちも、大切にしまっておきたいなぁと思ったのである。

 

 

 

わたしは地元に戻るという願いは無かったし、

結婚して新しい地域に移り住むことも受け入れていた。

なんならどこにでもいくし、どこででも新しい生活ができる自負さえあった。

 

そんななかでの思いがけない「地元に戻る」選択に、

思っていた以上に嬉しい自分もいた。

両親もきっと同じで。

ただ、手放しに喜ぶだけでなく、前述した選んだ経緯に、安心もしたのかななんても思う。

 

 

 

 

実家が近いということは、結果的に夫も助けられるかもしれない。

義両親がわたしの両親に「息子とは距離があるので、近くにいらっしゃるのはとても心強い」と話していたこともある。

 

 

ありがたいことだなぁ。

 

 

 

義両親にとっては「息子が地元に帰らない」ということが決まったということだ。

だからこそ、長期休暇には夫の地元に帰るようにしたいし、距離がある分のコミュニケーションは丁寧にとりたい。図々しいくらいに頼れるところは頼っていきたいなぁと思う。

 

 

ありがたいことだなぁ。

 

 

 

きっと、子育てをしたら、わたしも、

「奥さんの実家に近いといいよ」なんて受け売りをすると思う。

だけど、根底にある、「この街を選んだ理由」は大切に大切に、とっておきたいと思う。

 

そして、他の人のにもきっとある「大切にしまった理由」に思いを馳せられるようでいたい。

 

 

 

 

 

そして、「奥さんの実家近くになんていいご主人だね」と言われる時にはあえて大切にしまったまま、夫の顔をここぞとばかりに立てておこうと思う。