君を今日も 愛してる!

おもいを綴るばしょ

幼きわたしに想いを馳せる

いぬを飼い始めて、

幼き頃の自分に想いを馳せる時間が増えた。

 

わたしは、人の「好き」にとても興味がある

特に子どもの「好き」には絶大なるパワーを感じている

 

それは、幼き頃の自分の、

「好き」に対しての想いがあるからだ。

 

 

 

 

小学生の頃、
犬が好きで、犬が好きな自分が
好きなことがある自分がアイデンティティだった。

 

今日は幼きころの

わたしの話、。

 

 


街で見かける犬の種類を友達に聞かれては鼻高々だった

今も苦手なカタカナでも不思議と覚えられた

海外の国や都市の名前や環境にも興味を持った


田舎だったのでめったに出会わない、

図鑑でしか見たことのなかった犬種を見たときの

胸の高まりと興奮がすごかった

 

犬の実写の?シールが欲しいけど、いろんな種類のものはなかなかなかったから、広告やら雑誌やらで犬の写真を切り取って保管してた笑

しまむらとかの広告のペット服とホームセンターのチラシが有力。あとめちゃくちゃ増えるシーザーのホワイトテリア)

 


単純に趣味で当時図書館で予約して1時間/日 単位でしか使えなかったインターネットで、JKCの日本での登録頭数の一覧を種類と頭数を全部メモした(印刷はできなかった)

たぶん1週間くらいは通ったのではなかろうか…。

 

 

見かねた両親や叔母が犬に会えるテーマパーク

つくばのわんわんランド、群馬の名犬牧場、幕張メッセでやった犬のイベント(←これなんのイベントだったんだろう)

 


わんわんランドで初めて膝に乗ってくれたホワイトテリアと

初めてバーニーズに会えたときと

鎌倉の修学旅行の朝にアイリッシュウルフハウンドに会えた時と

(その気品に鎌倉はやっぱり違うんだなぁ!と思った田舎の小学生)

 

チャウチャウ二頭飼いしてた人に会って触らせてもらったときの密度の衝撃と

一瞬人間と空目したはじめてのスタンダードプードルとの出会いと

熊が街に降りてきたと思ったニューファンとの出会いと

近所のおうちでオールドイングリッシュシープドッグが来た時

子犬を目にして思わず声をかけに行ったことも

学校にたまに遊びにくる小学生にべたべたされても穏やかにしている秋田犬二頭も

学校帰りに犬ポイントが数カ所あったことも

すごくすごく鮮明に覚えているのである。

 


だからきっと、当時のわたしがぼんじょびに出会ったら

とてもとてもとても嬉しいと思う。

 

とってもとっても嬉しいだろうと思うと

涙が出てきそうになる。

 

 

 

卒業文集にはトレーナーになりたいと書いて

犬のぬいぐるみにリードつけてしつけの練習もしてた

後にさくらを迎えて、生き物を相手にする難しさやら

「こうせねばならない!」という感情の苦しさを感じ

気付いたらその夢を諦めていたのだけど……

でも不思議と挫折感のようなものはなくて

本当に「さくらが教えてくれた」のだと感じてる。

 

 

 

だからこそトレーナーさんや

生き物に関わる仕事をしてる人のこと

本当に本当に尊敬するし憧れがある

 

 

 


初めてさくらに会ってウレションされたとき

本当に嬉しかったの覚えてるし

初めて抱っこしたときのこと覚えてるもんなぁ。

(興奮しすぎて動きまくって謎に椅子の背もたれと背中の間に挟まってた)

 

 

 

そうそう、

学校の読書タイムには犬の図鑑を読んでいた子だったのだけど

(図鑑じゃなくて活字の本を読みなさい、と注意されたんだけど、

活字があまり得意じゃないこともあり、図鑑の説明文なら何度も繰り返し読めていたわたしはなんだか腑におちなかったのを覚えている…。

 


わたしは興味があることならば、図鑑でもいい。みんなと一緒にやらないといけないよりも、その子の背景のやりにくさにも目を向けて、興味を尊重した関わりをしたいとこの時から思ったの。

 


(先生も、県や市や学校からの教育方針のなかでの決まりの狭間にいたり、1人許すとキリがなくなってしまうことだとか、(漫画でもいいでしょう?)みたいな子とかも出てくるもんね。

わたしは漫画でもいいとは思うけど、当時「年間で本を100冊読みましょう」的な取り組みしていたし…。

(わたしは絵本とかもカウントしてたの秘密)

 

この価値観とか考え方って、きっといまの自分にも仕事にも繋がってるなぁと思うのである。




卒業アルバムの将来の夢には「ドックトレーナー」と書いていた。
(さくらのしつけの全てを任せられ気合が入っていたが
とにかく挫折の日々だったことがあり
でも周りに聞ける人も情報も少なく
気付いたらその夢もはかなく消えてしまっていた。
今思うと、偏った知識と固まった考えで
さくらにもきつい思いさせたように思う。
とはいえ、小学生にもかなり酷なプレッシャーだったとも思う。
甘えたいさくらと、しつけないとという気持ちの葛藤で甘噛みするさくらを抱きながら泣いた日のこと今でも思い出す。

中学の職場体験では友達と動物病院を新規開拓した。
この職場体験がとてもいい経験になって、
さくらも通っていた地元の後輩の家でご夫婦でやっている動物病院で、
動物ファーストなので、ただでさえ緊張しているところに中学生が4人見学にくることがどれだけ怖いか、飼い主さんには了承を得られるが犬には得られないでしょう、と話をしていただき、条件として診療がお休みの日にやること。
あくまで見学と説明で「体験」はできないこと。
中学生の当時、自分たちで電話して主旨を説明して、新規開拓をするなか、
なかなか厳しいことを言われたという印象だったけど、
今になると本当にいい経験をさせてくれたと思う。

体験は一切なしだったけど、
使用する器具や機械の説明、
どんなところを普段診ているのか、
入院スペースや手術室も覗かせてくれた。
説明も、ペットの話だけではなくて、
家畜の診察の話、家畜にたいする安楽死という選択について。
厳しいことをたくさん教えてくれた。
ここでもまた動物に関する仕事の責任の重さに自信を無くす、のであった。笑

 

当時、犬を実際に育ててみて、職場体験に行って、自然と夢として追わなくなったけど、ちょっと後ろめたさもあったけど。

でも不思議と挫折とは、感じなかった。

 

わたしのなかでのいぬとのかかわりかた、さくらが教えてくれた。さくらがいてくれたから、こうして大人になっていぬを家族に迎えようと思った。

 

 

そんな巡り合わせがうれしくなった。

 

 

街で出会う子どもたちの記憶に

ぼんじょびの存在が残るのかもと思うと

ここでもやっぱり嬉しそうな幼きわたしが浮かぶ。

 

みんなの、それぞれの、「好き」にはそんなパワーがあると思うんだ。

たいせつにしたい、きもち。

 

 

まとまりないけど、考えだすと一生更新できないので、走り書き。