映画をみてきたはなし
母に誘われて映画を見てきた。
よっぽどではない限り映画館にいかないので、なんと2年ぶり。
映画館に行ってみて(田舎だからということもあるだろうけど)人はまばらで感染症対策もしっかりしていて、そもそも話したりもしないだろうし、換気もされるし、風評被害もすごいもんだなぁ、と思った。
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とはいえ、こんなご時世なので、ぷらりと観に行くという機会も減っているのだろうなぁと思う。今回チケット売り場に来て映画を選ぶということを久しぶりにしたけども、お母さんに連れられてくる映画は、昔からそういう出会いを与えてくれていたのだなぁとなんだか不思議な気持ちになった。
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今回観たのは「ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜」
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ーWikipediaより
長野五輪におけるスキージャンプ・ラージヒル団体において2回目の競技を行うために、吹雪の中でジャンプを敢行した25人のテストジャンパーの物語を実話を基に描く[5]。長野五輪においてテストジャンパーの1人として活躍した西方仁也を田中圭が演じる[5]。
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長野オリンピックのスキージャンプの金メダルはわたしでも知っていたけども、めちゃくちゃすごい記録(抽象的がすぎる)を出したことと、「船木ぃ」と泣きながら話す映像をよくみるということと、よく物真似されたりいじられたりするということ。そもそも船木ってどの人だ?言ってる人はなんていう人?今回の主役は誰?たしかズームインに出ていた人がスキーじゃなかったかな?K点ってどこのこと?くらいの知識量。とっても失礼。
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1998年わたしは当時4歳だった。
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ストーリーは割愛、ネタバレにあたるものも含むかもしれないけど、映画の感想を綴る。
■人には人の、事情と背景と、想いがあるもんだ
テストジャンパーという役割を恥ずかしながら知らなかったけど、その役割ひとつをとっても、オリンピックへの想いひとつとっても、いろんな立場といろんな葛藤が入り組んでいるもんだと、改めて思う。
そして、想像力を働かさないとと思う。
その人にとって、プラスの意味でかけた言葉も、まったく逆の思いで伝わり、締め付けてしまうこともある。
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人の数だけ、ドラマがある。そして傷もある。
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わたしにとって羨ましい恵まれた状況もその人なりの葛藤があることもある。何気ない一言がとてつもない凶器にもなり得る。
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そんな可能性があることだけは肝に銘じておきたい。
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■知ることで深みが増すものだ。知らないって損だ。
わたしは熱中すると、ようやくそれを深く深く掘り進めていくタイプであることもあり、逆に言えば熱中しなければ掘り進められない。だから広い世間一般の事柄に詳しくない。
だけど、やっぱり、「知る」ということは、楽しいことが増えていくなぁと最近とても思う。
知識は人を豊かにする。物事ひとつとっても見え方が全然違う。大きくも見えるし立体的に見える。解像度が増すという表現が言い得て妙かもしれない。
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テストジャンパーという役割があることも(なんとなく、本番の前に飛んでいる人がテレビに映っているのはみたことがある)
ああいう風に代表が選ばれるということも、(本人も会見で知るものなの?!)
女子スキージャンプがオリンピック競技になったのは2014年ということも、
この映画を見るまで知らなかった。
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スキージャンプを見る目も、今まで何度も目にしてきた長野オリンピックの映像を見る目もかわりそうだなぁ。
何事もそうだけど、知った途端に、身の回りにそのことがらが溢れていたことに気づき出す。知らないと、気づくことすらできないものだと。
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知識と関心が増えることで、世の中もより鮮やかに見えるのだろうなぁなんてバカ真面目に考えている。
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■マイナスな感情を表に出すこと。
この映画を見て気づいたのだけど、わたしはどうやら事実や史実をもとにした作品が好きなようだ。
もちろん、映画として着色されていることも、うまくまとめられていることも念頭に入れた上で。
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この映画を見た後も、事実と創作の照らし合わせ、実在した人物の生い立ちや人となり、逸話。
夢中で調べていた。
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そして同時に思うのは、今回の主役である「西方仁也氏」にも通ずることなのだけど、自分自身のマイナスな感情を公にすること、また、自分を主役に物語を作った際に、いわゆる"悪役"となる人物が現れること。
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原田選手が飛ぶ瞬間にまで、「落ちろ」と念じた、その気持ちは、いつまで自分の中に隠していたのだろう。なんなら、いつまで同じように感じていたのだろう。
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どのように思われるだろう、どのように受け止められるだろう。
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「わたしにはできない」
と思いながら、こうしてブログを書いている。
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そして、「ああ、わたしは"いい人"でしか在れないんだなぁ」と思う。
それがいいとするか悪いとするかではなく、ただ、「そうなんだなぁ」と思う。
少なくともわたしは「そんなもんなんだなぁ」と自分を思う。そして後ろめたくなる。
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もしかしたら、そういった登場人物から、人間らしさや、そういった感情を抱くことに、安心を得ている、ずるい人間なのかもしれない。
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■オリンピックは国の事情だ。
世の中がオリンピックを巡り日々熱を出しているこのタイミングで放映されることや訴えかけたい内容は、半分計算、半分計算外、なんだろうなぁと思う。
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選手やそのまわりの人たちの、オリンピックにかける想いを目の当たりにして、こんなにもひとつの大会に想いを寄せる人がいて、こんなにも人生をかけている人がいるんだと慄く。
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そんな想いを抱える人たちがいるのだから、オリンピックができたらなぁという思い以上に、「どうしてこんなことになってしまったのだろう」という落胆の気持ちが大きく膨れ上がった。
コロナだけじゃない、世の中にだ。
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そして、この作品を見て1番強く思ったこと。
嵐のなかで、オリンピックを中止にするかどうかを審議するために提案された、
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「テストジャンパー25人が全員飛べたら、安全であるとみなし、試合を続行する」
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という事実である。
震え上がるような感覚に陥った。
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映画だから、うまく丸く収まって、むしろ結託の材料となった。ましてやこれを通してテストジャンパーという役割に誇りを持ったようや表現にされていたけど、実際はどうなのだろうか。
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いや、もし25人全員が、映画のように結託してこの決断をしていたとしても。
この「オリンピックを続行するために」「日本が金メダルをとるために」25人の命と安全を差し出し、天秤にかけられていた事実。
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そこまでして、続行しなければならない、
そしてそれを提案してしまうという状況と事実。
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23年前だけの話だろうか、そんなこと、ないだろうな。と思えた。むしろ本気で、真面目に、そんな論争が行われているのだろう、国レベルの事情があるのだろうと思うと。
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落胆と悲しさと無気力。
そしてうまくまとめられたストーリーに、きっと今回の件この1年間も、長い歴史の1ページとして"うまくまとめられて"しまうのかも。
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力が抜けていくのが分かった。
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そのまま物語はラストスパートに進んでいく。
取り残されたわたしの気持ちは、そのままに、濡れたマスクの中にこもる熱に映画の後に食べたサーティンワンアイスクリームが溶けて染み渡っていくのを感じた。
外は陽が落ち、空の色が何色とも形容し難い風合いになっていた。
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