君を今日も 愛してる!

おもいを綴るばしょ

令和の時代に沈む、タイタニック号

以前のボヘミアン・ラプソディの記事を事あるごとにツイートしているのだけど、そのたびに読み返していて、「その時の気持ちを真空パックしておいてよかった!」とつくづく思ったのです。

 

そして、日頃からそんなにたくさんの映画を観るわけでもないし、せめて観た映画を、気に入った映画を、その時の感情をギュッと記録しておきたいと思ったのです。

 

そんな時に金曜ロードショーで観た不朽の名作

タイタニック

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いまさら観るのか、いまさら感想を綴るのか。

散々消費され尽くしたはずの名作。

幼少期に触れたこともありながら、この令和を生きる、27歳のわたしが「今」に感じることを綴ることに意味があると思うので、拙い感想文ですがどうぞお付き合いください。

 

 

 

■歴史を、過ちを、後世に伝えるための映画

前半の、たった2.3日にも関わらず夢中になった、心を燃やした若者の恋をを経て、幸せ絶頂の状態で始まる後半。

氷山への衝突から、沈没までの数時間の描写は息を飲む。

 

この事故は、人災だ。

 

 

前にも綴った「人は悲しいくらいに経験からしか学べない」そんなことを今回も感じた。

きっとこの事故で、救命ボートの数や、事故があった時の動き、訓練、見返されたのだろう。

経験しないと分からない。とても悲しいことだけど、せめて、後世に語り継いで行かなければと思うのである。

 

 

今回はね、この映画の中でわたしが、自分の世界に照らし合わせたことについて、綴っていきたい。

 

 

■知っていること、想像すること

そして、思い出す、信じがたい、この事故が実際にあったということ。

生還した人々が残してくれた記録。たくさんの専門家が調べ検証した結果わかっていること。

それをもとに作られた映画から、わたしたちは知ることしかできないのだと。

 

…そしてそれを事実としてのみ捉えるのか、単なる歴史の1ページとして捉えるのか。それととそこからさらに、想像力を膨らませられるのか。

 

なにごとも想像力なんだなぁと。

 

 

 

とても印象に残っているのは、冒頭で調査員がタイタニック号の沈んだ理由、仕組みを淡々と、むしろ嬉々として語る様子。

 

そして後半で実際に船が沈むシーン。たしかに、冒頭で語られるシーン通りの順で沈んでいくのだけど。

 

その時とは違う、逃げ惑う人々の命と恐怖、惨状があった。こんなにものすごい壮絶な人々の命が関わっていることを想像できていなかった。そこには間違いなく2000人の人生があった。2000人を乗せた船が沈没するということは、こういうことだ。ひとりひとりの物語、惨状、目を伏せたくなるような苦しい時間が存在するのだ。そうだよ、なぁ。

そしてそれもあくまで想像…再現でしかないのだと。

 

タイタニック号の事件に限らないのだ。水が人に襲いかかる様子をみていると、東日本大震災が連想されて、直視できない瞬間が多くあった。

「水」という共通点に結びつけなくとも、事故だって事件だってそうだ。

 

…もちろん、冒頭で語る姿が悪いと決めつけられることではないのだけど、「ああ、知らないって、想像できないことって、罪だ。」そう、苦しいくらいに思った。

 

 

 

手に取るように情報を得られる、この世の中だからこそ、情報だけじゃなく想像力を働かせたい。コンテンツとして消費されないようにしたい。

 

そんなことを思わされたシーンだった。

 

 

 

■全員の選択、全員の人生

「死を目の当たりにした人たちの、最期の選択。それぞれ、すべての行動を選択している」

タイタニックついて、そんな話を最近交わしていたところだったので、今回の鑑賞ではその時点で観たいと思っていたの。

 

死を目前にした時に、我先に生き残りたいと行動する人、混乱を起こす人、職務を全うする人、愛する人と過ごすことを決める人、周囲を気遣う人、「最期まで紳士らしく」と救命胴衣を着ない人、荷物をとりに戻る人、抱き合いながらその時を待つ老夫婦、ベットで子どもに絵本を読み聞かせる母親、最後のときまで音楽を演奏する演奏家たち。

 

こういうときに人の本性が出るというけれど、この点については、わたしはあまりその「本性」をジャッジしたくないとは思う。

死を目の前にして、「いい人」「悪い人」そんな単純なものではないとおもうのよ。

 

正直、どれも間違いなんて言えない。悲しい選択はあったとしても、それもそれでその人だと、そうするしかなかったと、抗えるものなど何もないと、死を目の前にした人間の無力さを思い知らされる。

「本性」ってなんだろうなぁ。わたしは人の何を見るだろう。こういう時に、なにを軸にして眺めるのだろう。ただ一つわかるのは、評価などできる立場ではないということだけ。

 

「金持ちは、非情だ。」「金に盲目だ」

そんなことばで終わらせるのはナンセンスだ。

物語上、はたまた、映画をみる大部分の民衆にむけると、そういった描写が受けるという理由もあるのかもしれない。

だけど、彼らの努力も、背負うものも並大抵のものではないだろう。そういう意味でローズのお母さんの描写からは、くるものがあった。

ある意味「それしかない」のだ。

 

命を目の前にしてまで(だからこそか)貧富の格差が如実に出てしまう、そもそも等級順の避難制度に疑いもせず納得している存在に苦しくなった。

 

 

個人的には、貴族の中ではモーリー婦人の立ち振る舞いがとても素敵だった。周りからは鬱陶しがられるところもあるけど、人の気持ちが想像できる人だな、と。ここまで這い上がってきた背景があるのだろうけど、パーティに招待されたジャックの服装を気にしてくれる姿に、わたしは、彼女の最期をきちんと見届けようと決意した。

 

 

それから、そういう「善悪」の印象は、何事も要は置かれた状況と視点によるのではないかといつも思う。物語の主人公として描かれるローズとジャック。愛を求めて、強さを持って、愛する人を救おうと努めた。視点を変えたらどうだろう。。主人公を誰にするかなんだ。

 

フィアンセもある種の被害者ではあると思う。お金しか見えていない、ローズとの結婚もお金だと言う意見もあるけど、わたしとしては、ローズへの愛(というと語弊があるかもしれないけど)も感じられたんだけど。じゃなかったら自分が乗れそうなところ、降りてまで助けに行かないし、自分に気持ちが無いと他の男を選んだところに何度も助けに行けないよなぁ。と。

それを伝える方法を知らない、悲しい人だなぁ、とは思える。

 

 

 

…わたしたちの小さな日常でもそうだという視点を持つようにしたい。

 

立場を変えたらどうだろう、この人とこの出会い方をしなかったらどうだろう、今このタイミングでの声かけじゃなかったら、わたしはどう感じるのだろう、、

一呼吸置いてそんなことを考えるとみえてくるものがあるなぁと、思う瞬間があるの。

 

そんな自分が冷静だとか、正しいだとかすべてだとは思わないけど、みんなが一度でもそう一呼吸おけたら、世の中はどれだけ相手を思えるのだろう、なんて思う。

 

 

 

■印象に残ったシーン

 

*自殺する乗務員

実際は定かではないが、実際に拳銃自殺した乗組員がいたという噂があるらしい。

 

乗客を銃撃してしまった後に、敬礼して、拳銃自殺するシーン。ハッとした表情、敬礼の姿に、なんだか胸がぎゅっとした。

どんなプレッシャーのなかで、命が惜しく乗り込む人たちを統制していたのだろう。言わば命を選別する仕事だ。映画を観る立場からも「なんと言われようと定員まで乗せればいいのに」とも思えた、そんな簡単な話じゃないのだろう、そんななかでどんな重圧と人々からの批判と暴言と、、

 

命を救うための作業が、命を選ぶ作業になるなんて。

 

しかも吹き替えでは同僚が「やめろ!」と声をかけているけど、実際は彼を愛称で呼び止めているんだって。以前の航海でもともにした同僚。あ〜〜。なんて苦しい。

 

 

 

*最後まで演奏を続ける演奏家たち

この時代に音楽をやっていて、音楽を生業として、タイタニック号のはじめての出航に、演奏隊として乗る。きっと、とてつもないエリートたちなのだろうと予想できる。。

「こういう時だからこそ、乗客が不安にならないように」と最初演奏を開始するけど、後半は、自分たちに向けて演奏しているように思えた。一度解散するもまた自然と集まり演奏をする。死を目の前にしての、彼らにとっての「音楽」とは。

 

こちらも史実に基づいているとのこと。

婚約者からプレゼントされたバイオリンを紐で体に縛りつけ、離れないようにしてある状態で発見されたとのこと。

この数日の(帰りを含めると長期に渡るのだろう)旅に対し、婚約者はどんな気持ちで送り出していたのだろう。誇りとまた会う日の待ち遠しさと。もしかしたら少しの不安と。

 

 

*軽率な判断に責任を感じ船とともに最期をむかえることを選んだ設計士と船長

 

もともとは彼の偉業になる予定だっただろう。きっと彼らも本来は設計士としてとても船長としても優秀な人で、誇りもある人だっただろうと思う。

「沈没したタイタニック号の設計士、船長」として事実今も名が残る人物になったわけだけど。

 

背負いきれない重圧、周囲の期待に、誤った自身の軽率な判断。「沈まない船だ」と本気で思っていたのか、そう思わざるを得なかったのか。そう思わせてしまっているのか。

 

この悲劇の原因、彼らのしたことは誤りでしかないのだけど、それはこのふたりにだけ課せられる十字架ではないと思うの。特別このふたりが悪人だったわけではない、きっと、世界全体がそういう考え、流れを作っていたのだろうと。それがとても罪なことだ。

 

結局、悲しいほどに、人は経験からしか学べないんだ。

 

この事故がきっかけで、見直されたルールがたくさんあるとのこと、それには犠牲になった人が多すぎた。けどこれも人間の悲しいところだ。

だから、忘れてはならない。知っていかなければならない。

 

 

*救助に戻る船

たくさんの死を目の当たりにし、「遅すぎた」と涙を飲むシーン。どんな気持ちで遺体を動かし、声をかけ続けたのだろう。胸が苦しくなった。

 

救助に戻る勇気を持った行動だと称賛されておて、実際に6人の命が助かったらしい。

「安全をとって助けに行った、時間がかかった理由」についてもいろいろな意見があるだろう。でも、その時間がかかった理由でさえ、正しさだけでは語れない。

 

沈んでいく船を、溺れていく人を、ただ見るしかできなかったこと、助けに向かうのに時間がかかったこと、助けに行った際に、混乱した人々がよじ登り転覆する恐怖。そういう感情全て、間違いではない。正しさ、なんてわからないのだけど。

 

とはいえ、称賛も批判も違和感がある。それはその行動の正しさにではなく、「個人」が背負うことでないと思うから、なのかもしれないなぁ。

(最初から定員まで乗せられる仕組みが欲しかったよね!!!)

 

 

*ダイヤを海に放つシーン

最後のこのシーン、いろいろなバージョンがあるみたい。

 

ずっと誰にも言わずに大切に持っていたダイヤを、海に放つシーン。正直、ダイヤはジャックにもらったわけでもないし、フィアンセにもらったものだよなぁ?となぜ大切にとっておいているのだろうと思え、絵を描いてもらったときに身につけていたから?とか思っていたけど、

なんとなーく、とてつもない悲劇のあっという間の悪魔のような数日間、記憶からも消し去りたいほどの経験だろう。だけど、同時にジャックと過ごした時間として「あの時間があった証明」のような存在だったのだろうかと思う。

ジャックが描いた絵が海の底から戻ってきた。これもダイヤ以上の「あの時間の証明」になるのだろう。

 

そしていままで誰にも話さず心にしまっていた話をした。人に話してようやく自分のものになるような感覚、わかる気がするんだ。言い伝えなければ、消えてしまう、ジャックとの時間、ジャックの存在、人に話したことで、これも「あの時間の証明」になったのでは。

 

そして、他の人が考察しているとのを読んでなるほどーと思ったのが、ジャックがスケッチブックに描いていた「ありったけの宝石を身につけて帰ってこない主人の帰りを待つ女性」と同じ状況であったローズが「開放」されたのだと。

 

だからこそ、あのとき、ダイヤを「タイタニックが沈む海の底」つまり「ジャックが眠る場所」に返したのかもしれない。

 

意を決したようにでもなく、後ろ髪を引かれるようにな訳ではなく、返そうという意思がありながらも、「あっ」と落とす。

その「あっ」という声と表情に、「やられた」と思った。

そして100歳のおばあちゃんは船の上で、少女だった。

 

ここであの悲劇があったんだ、あの事件があったんだ、愛する人と離れたんだ、、

どんな思いであそこに立ち、ダイヤを放ったのだろう。

 

想像しかできないのだけど、思いを馳せる。

 

 

 

 

 

■1度目の鑑賞

誰もが見たことある名作。「ネタバレ禁止!」なんていまさらあえて言われないくらいの名作。

「なんか船が沈む映画で、最後男の方が死ぬんでしょう?」それくらいは分かっている。

 

小学生の時に同じく金曜ロードショーで見た、タイタニックは、幼心なりに響いていた。

唯一記憶に残っているのが、「最後にジャックが沈んでいく姿」に「マネキンのようだなぁ。」と思ったこと。「そりゃあ本物が沈むわけにいかないもんなぁ。」なんてことを考えていた。

なんて情緒もない感想なのだと我ながら思うのだけど、20年経ってみたそのシーンは、当時の撮影技術をもってみても、「リアル」だと思えた。

 

幼いわたしが「凍え死ぬ」ということを理解していなかった、ということもあるのかもしれない、だけどそれだけでもない気がする。

 

歳を重ねて大人になって、多くの感情を抱いて、深みを増したシーンなんていくらでもあるのに、明確に「20年前の気持ち」を思い出したのはこのシーン。そして、「感じ方の違い」を感じたのはこのシーン。

 

 

この気持ちのギャップにある厚みは何の厚みなのだろう。なにがそうさせたのだろう。そんなことをぼんやり考えていた。

 

こらはまだわからない。

 

 

 

■いまの時代を照らしてしまう

置かれた状況も違ければ、時代背景もちがうのに、どうも、今の日本を重ねてしまう。

 

知らされないことに対する不安と混乱。恐怖。

 

 

わたしたちは、今何を考えるだろう。

タイタニック号より遥かに多くの時間を残され、何をするだろう。

 

 

船に乗り込む彼らの姿は、ワクチンを待つわたしたちの姿ではないのかな。

 

 

人間は、いつまで経っても同じだ。

 

悲しいくらいに人間は経験からしか学べない。

だけどわたしたちには「歴史」と「経験」がある。

ヒーローでもヒロインでもないけれど、

まだまだ「選べる」ことがたくさんある。

そんなことにはやく気づきたい。

そんなことを思いながらぼんやりと世の中を見渡す。

 

 

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僕たちが辿り着きたい場所は
愛し合える人の楽園か? それがぶち壊される戦場か?
誰もが愛を探しながら どんでん返しのオチみたいな 結末が観たいのさ
終末にDeepkissさしてくれる相手は何処で僕らを待ち受けてるのはどういうエンディング?

 

終焉のディープキス/高橋優

 

 

ああ、きっと長々と綴ってきて、

わたしが表現したかったのはこの歌の感情だ。

高橋優の音楽の中に、わたしがいた。

高橋には敵わないなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天使にラブソングを通して考えたこと

金曜ロードショー天使にラブソングをが放映されましたね〜!

 

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わたしが何度も何度も繰り返しみている数少ない映画。好きな映画を聞かれたら必ず挙げる映画。

 

ボヘミアンラプソディといいステージでの歌唱シーンがあるものが好きなのがわかりやすい。ね。笑

 

 

 

シャウトするように熱唱する人に釘付けになるのも、、

ハスキーボイスやハイトーンボイスに射抜かれるのも、

複数人数で歌うハーモニーに酔いしれるのも、

メロディと湧き出るものにに身を任せリズムを刻む姿に憧れるもの、

 

 

 

今思うとわたしの音楽の好きと憧れが詰まっている。

 

本当に心の底から惚れ惚れする、どきどきする。

 

 

 

……いや、これがきっかけでこういうものが好きになったのかな?

これが「音楽のルーツ」というものなのかな?

 

そう思うと「わたしにもそんなものが…!」と恐れ多くてなんだかさらにどきどきするのだよね。。

 

 

 

 

……とはいうもののね、歌唱シーンが好きすぎてそのシーンを何度も何度もみているから、、

 

今回の金曜ロードショー、全編通して観るのはもしかしたら10年ぶりとかだったかもしれない、、(はて?さきほどの何度も繰り返しみてます発言はゆるされるのだろうか笑)

 

 

 

大人になった今改めてみたら、歌唱シーンの完成度はもちろんのこと、ウーピーゴールドバーグ演じるデロリスや周りの人達の人と向き合う姿勢や受け答えなど、細部に目がいき、いままでとまた違ったところで感銘を受けたよ。

 

 

 

相手を説得したいとき、行動を変えたいときに、真正面からいうのではなく、相手の良いところに目を向けて、たてながら、相手の納得感と気分の良さを持ちながら伝えるところ。

 

一見ガサツで口が悪かったりするけども、(意見が対立することはあるけど)誰も傷つけていないのだよね。

 

それから院長。組織の中で周囲と自分との意見の食い違いに対して、まわりの選択を受け入れられないながらにも、きちんと最後はまわりの意見を認めるところ、そして自分が古くなってきたということを省みて、組織には新しい風が吹くべきだと辞任を選択する勇気。

 

 

2でもね、みんなが知っているメリーさんの羊の歌を知らない子がいた時に、「なにもおかしくない、彼女の家ではメリーさんが飼っていたのは羊でなく犬だったのかも。そしたら知らなくて当然、それだけのこと。」と言っていたこと。このあたりはいろんな人種や文化が混在するアメリカならではなのかな。

 

自分とことなる人を知ること、知ろうとすること、分かろうとすること、分かれないことを認めること、そういうことが求められる世の中にどんどんなってくると思うのだ。必要だと思うのだ。

 

 

それからこの映画の魅せ場のひとつであるOh,Happy Dayの歌唱のあと、まわりの歓声も響いていて生徒たちも気持ちが高揚しているときにクローズアップはされていなかったけど、さりげなく、「お辞儀をして」と促す姿。

そういう人として身についていてほしいことをさりげなく伝えている姿に、特にそういうところに想いとかってきちんと表れるんだなぁとぐっときたのであった。

 

 

 

うん、そんなさりげないところに目を向けられるようになったこと、ぐっときていること。うんうんと頷くこと。これってきっとわたしが大切にしたいと思っているところなんだなぁ。

 

 

そんな気づきを持てるのは同じ映画を繰り返しみたからこそなんだよなぁ。集中力が米粒なわたしには貴重な素材であることは間違いない、、

 

 

 

 

 

 

うんうん。

 

映画のもつ魅力とは別に。なんでこの映画が特に好きなのかなと考えたときに頭に浮かんだことが実はもうひとつあって。

 

 

 

今日話したいことはそこなんだ。(驚くだろう?これ全部前置きだったんだってさ。)

 

 

 

 

 

それは、この映画を見たきっかけと影響に関することなんだけど。もともとお母さんが好きな映画で、金曜ロードショーで毎回観るのはもちろんだけど、DVDも家にあったんだ。

 

初めて観たのはいつだったのか、、そこまでは覚えてさえいないんだけど。

 

 

 

わたしのお母さんはわたしが小学生中学年くらいの時からゴスペルを習っていて、ゴスペルをやりたいと思ったきっかけがこの映画だったことは知っていた。

 

 

 

ゴスペルを習いはじめたのは、住んでいた地域で開設されたクラスの初期メンバーの募集が市報に載っていたのがきっかけだった。

 

 

そしてクラスが始まって初期にやっていたのががこの映画のOh Happy Dayだった。

 

 

 

お母さんがゴスペルを習っていること、好きなことをしていること、ソロパートをもらっていることってなんだか当時のわたしには誇りだったような気がするなぁ。

 

 

 

……そして、この歳になって思うことは、

大人になってからずっと続けられる趣味に出会うこと、生活がかわるなかで続けられることってすごいことだと思っていて。

 

 

 

 

この映画の公開は1991年。

 

兄が生まれた歳。

 

 

 

 

そのタイミングで「たのしそう!かっこいい、やりたいなぁ〜」なんておもうものに出会って、でもこの時は「子育てが終わったら」と思っていたそうなのだけど、

たまたま先述にあった募集要項に出会ったというわけだ。

 

 

 

何曜日だったかは忘れたけど、その授業が平日の夜だったのは覚えてる。

 

 

必ずわたしたちの夕飯を用意して行ってくれていたのも、今思うとお母さんのなかでのポリシーだったのかもしれない。

 

 

そして、「行かせてあげる」という空気さえも出さず、当たり前のように当然のようにしていたお父さんも。

 

 

両親のこういう姿勢とか、子育てに支配されず自分の人生も大切にしていたところ、互いの人生を尊重していたところ、わたしの家族像の基盤になっていて。

 

きっとね、そういう両親のなかでそういった基盤があるからこそ、わたしたちこどもを親の所有物ではなくひとりの人間としてみてくれていたとにも繋がっているんじゃないかな。

 

 

 

 

 

 

そんなこと考えたのはきっとね、自分の中での同じような存在との付き合いかたについて模索しているからなのかなぁ〜。

 

実はね、

 

昨年の秋ごろから、仕事と生活と手話のみっつのバランスのとりかたを悩んでいるの。わたしのこの性格、やると決めたらやりたいし、そのためにこうしないと、という謎の使命感のような気持ちが強すぎて、柔軟になるのが難しくて、うまく行かなかったときにすごくどんよりしてしまっていたの。

 

 

好きでやっていることだし、話す楽しさとか奥深さに魅了されているのはもちろんなのだけど、仕事と生活にプラスアルファでやっていくにはバランスを保つのがむすまかしくて。

(どれかひとつが飛び出すと一気にバランスが崩れちゃう状態)

 

生活をていねいに送りたいという思いが生まれ出したのも、理由のひとつだと思う。

 

 

加えてこれからきっと生活が変わっていくことを危惧したら、新しいチャレンジなんてできないんじゃないかなぁなんて無意識に思っていたのかな。

だから「今、成し遂げないと」と試験に合格するメリットを勝手に作ってもいた。

 

生涯勉強だということも、通訳者としての活動がすべてじゃないということも、分かっているつもりだったけど、心の根っこで思っていたのだろうなぁ。

 

そんなこんなで手話がいつのまにか義務のようになってしまっていたのだよ〜〜。

 

 

今はコロナの影響もあり強制的に参加できなくくなって、いろいろ生活とその他もろもろのバランスを考えてすこし落ち着いたのと、また「はやく話したいな、参加したいな」という気持ちが戻ってきた。

 

「いったん休む」って思っていた以上に大切なんだなぁ。

気持ちがまいってしまっておしごととかを休むのもきっとこういうことのために必要なんだろうなぁなんて、身をもって感じたり。

すこしわたしの心の引き出しが増えたかな。

 

 

だから、これからはね、自分のバランスを模索しながら、長く付き合えるかたちをみつけていくことが目標。

 

そしてそのうえでね、環境やタイミングを言い訳にせずいまやれる努力はしてみろというところ。笑 できることすらしなくなるのはよくない!

 

 

たのしく、こころおどる、そんなことでいっぱいにしていくための術だね。

 

 

 

 

とにかくなにが言いたいって、

これからの人生もたくさんそういうものに出会うチャンスがあるということと、できるということ。

 

でも決して、母も楽しいだけでやっていたわけじゃなく、大変なことも面倒なこともあったろうし、悩んだこともあっただろう。

そして続けるために、大変ななかこれだけはやるというポリシーを持って生活とのバランスをとっていたんだろうなぁということ。

そのポリシーも持ちたいな、ということ。

 

 

 

 

映画の話から、わたしの家族の話、わたしの趣味の話、とまとまりないけども、映画を見たことでのじぶんのなかの心のうごき、これらもせっとで映画鑑賞だと思うので。

 

ひとりごとにお付き合いくださった方、ありがとね!

 

 

 

 

 

 

aiueoワークショップに参加してきた

 

大好きな雑貨屋さん!

aiueoのワークショップに参加してきた話

 

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aiueo渋谷ヒカリエShhnQs店

2周年「フルーツちゃんサコッシュをつくろう」に参加してきました。

 

www.instagram.com

 

①aiueoヒカリエ店とわたし

数年前、立川のpop upに行ったときに渋谷に常設店ができると知り、飛び跳ねて喜んだ記憶。

 

ずっと興味があったワークショップに参加しようと思ったのはお友達が梅田店のワークショップに参加していたのを見てとても楽しそうandアットホームな雰囲気、好きな世界に囲まれてなにかをつくれるって幸せだなぁ!とかきたてられたからでした。

※ゆこちゃん引用させてもらうね・・・!かわいいでいっぱいの記事だよ。

 

 

梅田店の閉店もあり「行けるときに行かねば」と思ったこともあったので。

やっぱり、なにごとも、そうなんだね〜。

 

 

aiueoのなにが好きかというと、言語化するのご難しいんだけど、「ハッピーをあなたに」というコンセプトと、ただ雑貨を買って終わりなのではなく、じぶんたちなりにアレンジしたりつくる工程もたいせつにしていて、雑貨を買った「その先」がイメージできるからなのかな。

 

たのしい!かわいい!すき!を共有できる人たちと一緒に行きたくなる「空間」ごと好きなのがaiueoの世界観なんだ。

 

だからね、いつかaiueoのワークショップには参加したいなぁとおもっていて、、

 

気持ちと予定がばっちりあった、

今回、勇気を出して参加したわけです!!

 

 

 

②ワークショップ当日

 

1人参加にどきどき。

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(写真の撮り方にセンスがないのはご愛嬌)

お店も2周年モードでフルーツちゃんだらけ!

ガチャガチャやフォトスペース、ポストなどなど。たくさんの手作りあふれる企画があってわくわくしたし、たくさんのキャラクターたち、並んでいるととてもかわいくて高まる!


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2周年の企画でキャラクター総選挙をしていたよ。かわいい!(かわいいばかり)

悩んだけどわたしはキウイちゃんに投票したよ~!

 

 

 

ワークショップはお店の通路側にあるテーブルにて。

 

今回の担当はゆりこさん!

 

aiueoの店員さんは、ボーダーのTシャツにジーンズのお洋服がかわいすぎるしみなさん笑顔がすてきだなぁ〜と毎回思うのである。おはなしもしやすい雰囲気。きっと新学期にクラスで出会ったらお友達になりたいとアプローチしちゃうだろうなぁと毎度思う(なんか気持ち悪い)

 

店員さんもふくめてやっぱりaiueoがわたしの好きな世界観なんだなぁ。学生時代雑貨屋さんでバイトしたけどやっぱりaiueoがいちばん好きな世界観!

 

さて、本題に戻るけども、

企画のなかでも最初の方の回だったので、ちょっぴりスタッフさんたちも緊張している様子も、さぐりさぐりやっている様子も、そんななかでもわたしたちを楽しませよう!といろいろと工夫してくださるのもうれしかったなぁ!

 

さて、お客さんの方も、わたし参加の回は、わたし以外にも3名いらっしゃったのだけどみんな1人参加だったのでちょっぴり安心した。笑

 

年代も様々で、aiueoの世界観が好きなのが共通していると思うとそれだけで嬉しくなっちゃうね。

作ってるときも「それ、かわいい!」「そうするといいんだ〜」「けっこうむずかしいですね」「まねっこしちゃお!」なんておしゃべりしながら。

 

スタッフさんとも一緒にアイディア出し合ったり相談したりしながらすすめていって、一緒に作っている感覚と、何度も言うけどスタッフさんも一緒に楽しんでくれている感じが本当にうれしかった!

 

やっぱり誰かと好きを共有するのも、一緒に何かをつくるのも、その中で個性がでるのも、楽しい。

 

かわいい〜と心から思う世界でクリエイティブなこと、したい。創作意欲が沸くなぁ!

 

 

 

 

………そんななか、完成したわたしのサコッシュがこれ!ダダン!!

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使ったのはレモンちゃんとグレープちゃんとストロベリーちゃん。型は他にさくらんぼちゃんとがいたのと、それぞれ大きめサイズもいたよ!ドーンと大きい子を描くのも可愛かった〜!

 

今回のポイントは、ストロベリーちゃんがちょっぴり隠れているの!(布がかぶさるところどうしたらいいかなぁとスタッフさんと試行錯誤したのち、レジにあったクリップを挟んでくれた)ストロベリーちゃんのそれぞれの顔も個性的でかわいいでしょ~♪

 

それと、まわりのカラフルなドットは割り箸の切り口を使って小さなドットを散りばめたの!

フルーツちゃんのデザインに合わせて▲の柄を筆で描いていたスタッフさんのまねっこをしたかったんだけど、筆で描く自信がなくて悩んでたらスタッフさんが割り箸をスタンプすることを提案してくれたのであった。わたしたちのあとの会でも採用されていたみたい。

 

 

 

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作業風景。

 

キャンディ柄のテーブルクロスがかわいい〜!真ん中にアクリル絵具をアフタヌーンティーのあれ(名前が出てこない)に置いているのも、それだけで可愛いもんだなぁ。と勉強になった!ちょっとの工夫でかわいくなるのね。

 

中央の手作り木箱に入っているのが、今回のメインのフルーツちゃんのステンシル型なのだけど、ひとつひとつクリアファイル切り抜いてつくっていて、それぞれフルーツちゃんたちごとにマステでお部屋分けしてあるのが、手作り感があって最高に素敵だった!こういうの大好き~

 

ちなみに、ひとつのフルーツちゃんを完成させるのに、本体、へた、目、などなどで①②③とパーツが分かれていました。

各色ごとに乾いたのを確認して、型をのせてずれないようにそ~っと……。


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レモンちゃんの目入れをするとき(緊張感)


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こんなお顔になるの!剥がすときの快感がすごい!

 

そして次にステンシルしているのがストロベリーちゃんのヘタとお顔部分。

 

 

 

初めてステンシルをやったんだけどとても楽しくかわいくていろんなところに活用できそうだなぁ!と思った!自分でも型を作ってやってみたいなぁ〜〜!


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こちらは公式のストーリー(載っちゃった!)

こんな模様でした〜!いろあいとわちゃわちゃがまたいいよね。

 

 

………一足お先にわたしが終わったのだけど、

全部終わったあとに「バックを開けてください♪」ってスタッフさんに言われたからね、言われたとおりにバックを開けたらね、レモンちゃんの飴を!入れてくれて!

思わず「ひえ!かわい…!」と言ってしまった笑

 

 

 

そのあと案の定雑貨を爆買いして、FUN!FAN!FANLETTER!企画のハガキを描いて。

スタッフさんと梅田店のお話やaiueo好きなお友達の話をして。 。



こないだの年末に梅田でゆこちゃんむーちゃんとaiueo行って爆買いしたのが本当にたのしくて、「毎年の恒例にしよう!」って話してたのもあったので梅田店の閉店はとても寂しいけど、aiueoとのつながりはこれからもある!し、みんなでヒカリエこれたらいいなぁ。

 

スタッフさんとKARHUの靴がおそろいですね~なんてはなしたり、「きっとお客さん好きですよ!」って、梅田にあるおすすめの紙屋さん、印刷屋さんも教えてもらったので、そこにもみんなで一緒に行きたいなぁ~

 

「好き」って思うお店、店舗に足を運びたいと思うお店、そんなお店があるってなんだか嬉しいね。なんだかこういうのって新鮮でドキドキしている…!

 


実はすっかりワークショップのとりこになってしまったわたしは…

 

www.instagram.com

 

ででん!pekikoさんのフルーツイラスト企画にも申し込み!!(当日はコロナの影響でなくなってしまったけど)

 

 

今回は残念ながら叶わなかったけど、aiueoデザイナーさんにお会いする機会があったらぜひまた足を運びたい……!

趣味程度だけど絵をかいたりなにかをつくることが好きなわたし。

aiueoはそのベースにあり、こころからかわいいにまみれる。aiueoにいる時間がいちばん創作意欲がわくの。うん、あこがれだ…!

 

上記の企画の中止にかかる件でスタッフさんとメールのやりとりとかもしているのだけど、その丁寧かつお客さんひとりひとりに文章書いてくれてるんだろうなというのも伝わってきて。

 

さらにね、ワークショップの後日、お店で会ったときに会計の時に声かけてくださって、、。びっくりしたけど、とってもここちいいなぁ。うれしくてうれしくてどんどんaiueoのとりこになっていく!!(大森さんありがとうございます!)

 

とても大好きなお店。これからも応援していきたい!

 

 

最後はファンレターのお返事にいただいたはがきを

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裏面にはスタンプもたくさん使ったおてがみがあってかわいかった〜〜

一枚一枚丁寧に書いてくらたのかと思うととってもうれしくなったとさ!

 

チャンチャン!

 

QUEEN+ALRHAPSODY TOUR

鮮度の高いうちに、いろんな人の感想を見る前に、わたしの気持ちが残せるように。

 

ボヘミアンラプソディからの20代ファンのライブの感想と備忘録でございます。

 

あくまでわたしの気持ちですので、背景を知らないなぁとか、そういうことじゃなくてさとか、おこがましいなぁとか、そういうこともあるかも知れないけども。あえてそのままを真空パックさせてね。

 

 

 

行ってきたよ、Queen !!!

 

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映画に行ったのが2019年1月7日。

次の週にアルバムをありったけレンタルして、応援上映に行ったのが2019年2月10日。

5月にライブのチケットをとって(もりちゃんのおかげ)変わらず劣らずの熱中ぶりのまま2020年1月25日。

 

 

1年近い先のライブのチケットをとって待つのはコブクロで慣れているつもりだけど、いや〜本当に待った。待ったなぁ。はじめてのことだらけでどきどきもしたし、変わらずむしろ増して熱中していること、嬉しいね。

 

 

 

通算10度目の日本ツアーだそうで。前回は3年前。(+アダム)フレディもいた最後の来日は1985年だそう。35年も経っているのだなぁ〜〜〜〜。亡くなってから29年経ってるんだもんそりゃそうか。

 

 

改めて、自分が生まれた頃には亡くなっていた存在にこんなに引き込まれる日がくるとは。

 

ずっと在ったんだよ、なのに出逢わなかった。あんなに語り継がれているのに、耳にもしてたのにね。

 

きっとまだまだ、未だ出逢ってないだけのものが世の中なはあるんだと思うと、感慨深さとともに、「故きを温め新しきを知る」とはよく言ったものだと思いを馳せたり。(安定のポエマーおばさんと化する)

 

 

親ぐらいの年代の人、わたしと同じくらいの人、親子で来る人、杖をついているご年配者、、、、いろーーーんな人に思いを馳せて行き交う人たちを見る。

ちょっぴり浮かれてるような空気、この人達は普段どんな生活をしているのかな、、もともとライブ前の好きな時間でもあるのだけど、はじめての現場は知ってるそれらとは全く違くてさらに感慨深いものがあった!

 

 

 

昔からのファン、過去の来日も行っていた人、映画からのファン、海外のバンドに行き慣れている人、はじめての人、洋楽に詳しい人、洋楽を知らない人、ロックンロール好きな人、コーラスが好きな人、ギターが好きな人、ドラムが好きな人、とても熱狂的な人、ゆる〜く聞いている人、むしろ好まない人、なんとなく来てみた人、複雑な思いな人、今のかたちを受け入れられない人、今のかたちでうれしい人、どちらでもない人、アダムが好きで来てる人、割り切っている人、、、

 

 

わたしには想像のつかないくらい複雑に混じりった、いろんな人がここにはいるのだなぁとなんとなく感じた。

 

このバンドへの、このライブへの世間の評価も詳しくは知らぬ。最近のヒットが課題評価だとしても、昔はよかったのにねえと言われても、、

 

ただ。この瞬間があることが、わたしにはとてつもなくありがたいんだと。

 

 


ボーカルにアダムランバートを迎え入れ、このかたちでQueenを続けることを選んだふたりも、理由はなんであれ参加しないジョンも、引き受けているアダムランバートも含め、もう全部が正解で間違ってなくて、


どこの誰にとっても意味も思い入れもあるライブなのかもなぁと。

 

そして、音楽の楽しみ方も奏し方も本当多様だなぁと。

 

 

わたしからしたら、本当に本当に、「ありがたい」でしかないのだ。

 

 

 

 

 

それにしても、米粒距離でのライブではあったけど、ギターに詳しくないわたしだけども、ブライアンメイのギターがかっこよすぎた!本能で感じた!(いきおい)

手作りのギターなんでしょ?コインで弾くんでしょ?そんな知識だけのわたしがみても、とにかくとにかく本能で(繰り返す)かっこよかった!!

 

70歳のおじいちゃんと脳内にある若い頃のブライアンを頭で交互に思い浮かべながら。「ああ、本物なんだなぁ」と。最高にかっこよすぎるおじいちゃんだった。

 

 

 

 

 

そして、しょうじき、今回参加したことでさらに「フレディのうたが聴いてみたかった」という気持ちがすごく湧き出てきてしまったのも、驚くくらいだった。

 

 

でも、会場見渡すと、当たり前なんだけど、みんなみんなの奥深くにその気持ちがある、あえて口にしないけど、そのうえでここにいて、ここにいないひともいて、ここにはこれないひともいて。

 

そしてそれは痛いほど、ステージ上の全員も感じていて。(考えれば考えるほどアダムえげつない)アダムの「Love Freddie?me too」から始まるライブ、とてもホッとした。これはQueenのライブだ。

 


わたしがそんなこと言える立場じゃないという気持ちと、そんな気持ちも全部ひっくるめてここにいる、そんな空間が愛おしくてたまらなくなった!!

 

アダムのことも好きになった1日であった。

 

 

 

 

 

 

あ〜あ、フレディ会いたいんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

さて、セットリストは、、

 

 

もう、これでもかってくらいメインディッシュだらけで、胃もたれするレベルだよね。笑

その分演奏する彼らも同じだと思うし、ギターソロの魅せ場も多すぎて心が追いつかなかった。

最初で最後になるかもしれない、そんなことも考えないわけないくらいに、全部全部全部。「あとなにやってない?!」って探してしまうくらい。

 

 

 

このセトリも人によってはいろんな評価があるのかもしれないけど、わたしには「ありがたい」のひとことで。

また違うセトリもいつか見れたらなんて、またどんどん希望がでてきちゃうんだよね。

歌い続けてくれてるって本当奇跡だ。

 

 

ひとつひとつ語りたいと思ったんだけど、

曲数数えたらとんでもなかったのでいくつかピックアップして書くね!

思い出した順に書くからばらばらです〜ご了承ください。

 

 

※以下、セトリのネタバレあります。

 

 

 

 

 

①opening

久々のはじめましてライブだったので、カルピスでも幾度と思い出話に挙がる「初めて目の前に現れる」瞬間について、とにかく集中しようと思っていました。

米粒距離すぎて正直「本物だ!実在する!」って感想でなかったけど、ブライアンのシルエットが見えた瞬間、想像以上に胸がときめいた!興奮はするだろうとは思っていたけど、「ときめく」んだ!わたし!(大物に対して失礼)

 

CDで何度も聞いた曲が、メロディが、そこで演奏されているなんてね、意識して「現実だ!」って思い返さないと忘れてしまいそうなくらい夢心地で、ずっとふわふわふわふわしていた。だけどもったいないことはしたくないと必死だった。相変わらず手拍子とかしながら聴くの下手だからさ、手を合わせて聴いている状態。拝みライブ。尊いなぁ。。

 

 

 

 

 

 

 

 

①Love of my life

過去のサマソニ 2016での映像をYouTubeでみて、やられたやつと同じ演出でした。

 

も〜〜〜queen知らなくてもライブ好きフェス好きな人には絶対この動画すすめるし、こないだお泊まりの時無駄にみんなに見せちゃった。照り

 

そのくらい、わたしこの映像大大大大大好きでさぁ〜。演出はもちろんなんだけど、この時のお客さんの表情が最高で一緒に歌う姿きらきらした眼差しを向ける姿、もうすべてをとっても客観的に見ても、羨ましくなるくらいの音楽の楽しみ方をしていてさ。

 

あ〜〜こんな空間に、わたしもいたい。と、何度も何度も思った。もちろん野外フェスと空気は違うけども、まさか、ねえ、やってくれるとは、、叶わないと思ってたから夢にすら思ってなかったけど、夢がひとつ叶った、そんな気持ちであった。

 

ブライアンの歌声で聴けるこの曲というのも特別でね。

そんななか、もしかして、とわかっていても。

 

 

 

 

フレディの映像が映し出された瞬間に、

 

 

 

後方から「あ〜やばい」という声が聞こえてきて、「うんうん、やばい、やばいよね、わかるよ」と頭の中で後方の男性に相槌を打っていた(やかましい)

こういうみんなの反応や個人の心の高揚が感じ取られる瞬間って本当に大好き。

 

ライブ中、ずっと思い焦がれたあの声だよ〜この歌声が好きだと体の奥から感じたわかっていたのに、見たことある演出だったのに。

 

あ〜〜泣いた泣いた。

温かい涙が2本頬を伝った。

 

 

とってもとっても愛おしくて嬉しくなった。このライブにこれたことも、この曲が聞けたことも、Queenの音楽にちゃんと出会えた事も。

間違いなくわたしのかかでのNo. 1アクトでした!きらきらしていて綺麗だった〜〜 

 

ステージ上のブライアンと、スクリーン上のデカフレディがお互いを手で仰いでいて。

 

なんだかね、手が届きそうな感覚すらしたの

本当に見れてよかった。

 

 

Teo Torriatte

日本公演ならやるだろうなぁ〜!と思っていたけど、ギターのイントロが聴こえてきた瞬間

ブライアンの微笑みを見た瞬間、ひとつひとつのメロディラインを辿りながら噛み締めて聴いた。

おもっていたより曲調は静かで暗いんだなぁとか思っていたけどメロの最後は「be not gone(だから行かないで)」って歌詞だったんだね。手を取り合って一緒に進んでいくぞ!と平和な曲ではなくて何かの悲しさ切なさ絶望の先の「手を取り合って」なんだね、、まだまだ咀嚼が必要な歌だ。

 

「手を取り合って このまま行こう

愛する人

静かな宵に光を灯し

愛しき教えを抱き」

 

の日本語歌詞なんかは、英国の方らしい訛りが

また生きる、ちょっと昔の丁寧な日本語なのが

とてもわたしは気に入っている。

「宵」とか「灯す」とか「教え」とか、日本語特有のとても深い綺麗な表現よね。教えを「抱く」という表現も大切に抱きしめるニュアンスもあり。

 

あ〜こういうところ、日本人が気づかないところに日本らしさ日本の良さを見出してくれてたのかもと思わされた。日本語歌詞を監修した方には感謝である。

 

そうそう、

今回のライブで「遠き山に日は落ちて」をギターソロで奏してくれたのだけど、このチョイスとこの歌詞も同様の世界観だよね。

 

(わたし実は「遠き山に日は落ちて」ファンで

本当にメロディラインが素晴らしくて、日本語も情景も綺麗でこっそり大切にしているので、英国の方のこのチョイスはとっっっても嬉しかった!)

 

 

③'39

このブライアンの弾き語りブロック、とてつもなく大好きなブロックになったし、この時はお客さんスマホのライトをステージに向けて手を揺らす演出。

 

シンプルな白い光が本当に宇宙の星屑の中にブライアンがいるようで。どんな、派手な光や演出よりも、ぐっときた。宇宙飛行士が主人公のこの歌にはとても合っていた。

 

このスマホ使った演出海外の歌手特有だよね?

 

クリスマスのイルミネーションでも感じるんだけど、シンプルな光が表現するこの懐かしさもある光がとてもきれいだなぁ。あ、これをエモいと言うのかな。なんて思ってた。

 

 

 

④The Show Must Go On

フレディがライブで歌えなかった曲。

 

「ショーは続けなければならない」

 

あの頃に歌ったこの曲の意味とあのシャウトが歌うことへの決意とフレディの生き様を力強く残しているようで。。

この曲はフレディにしか歌えないと思うなか、アダムの歌唱力を見せつけてくれた。いや〜〜すごかった。えげつない歌唱だった。アダム、ありがとう。

 

 

⑤Don't Stopp Me Now

とてつもなく有名な曲なのだけども。

この曲はわたしのなかで、ドンピシャな曲。

何度聞いても、絶妙で、飽きない。

聴けば聴くほど聴き込みたくなる!

 

有名なだけはあるけど、有名なだけでは済ませたくない。

いつまでも新しい曲に感じるから不思議だ。

 

こういう、手放しなくらい、「今、最高!」っていう高揚感を乗せられる歌ってありそうだなかったなぁ。あったのかもしれないけど、わたしの好みがそういう曲にたどり着かなかったのかもしれない。朝の通勤で聴く機会が増えました〜〜

 

この曲もpv好きなんだよな〜〜

フレディがピアノを弾きながら歌う演出や、時代を感じるセットがたまらん(このころって階段の上でドラム弾くよねそう言う時代?)

 

⑥somebody to love

ゴスペル好きなわたしにはゴスペルのようなコーラスがあるこの曲はたまらないし、Queenらしさでもある、大好きな曲〜〜〜

イントロで沸いている曲だった!

 

この曲を聴くたびに、わたしは楽しそうに熱唱している人が好きなんだなぁと。

ハーモニーの波にさらわれて海で漂うような感覚になる。(ポエマーおばさん)

 

ブライアンやロジャーもマイクに口をむけていて(そりゃそうだ)それだけで感涙

 

 

時代に左右されない名曲だね。

 

 

 

 

⑦I was born to love you

日本でのQueenといえば!この曲!

海外では違うらしく、国によってそういうイメージが違うっていうのもおもしろいよね〜

各国のイメージというか、認知度というか。

 

アメリカよりもイギリスよりも早く日本でブレイクしたのもそうだけども、国同士の関係性だとか人種だ戦争だ差別だの影響で各国でいろいろと偏見を持たれてしまっていた時期に、日本ではそういうことなく迎え入れてくれた、とブライアンが話していたインタビューがあったなぁ。

 

日本のそういうところの鈍感さというのは良くも悪くもあるけども、そういう影響もあるか、と思った。海外のミュージシャンにハマっただけでそんな世界での日本の存在まで考えるんだもん、好きや興味って侮れないな〜(おおげさかな)

 

いや、でも、「知る」って大切だと思うし、やめてはならないなぁ。

 

 

 

フレディーマーキュリーソロ名義で発売し、亡くなった後にバンドで再編したとのこと。

なんだかその事実を知るだけで、「あ〜これを歌っている時のフレディはどんなことを考えていたのだろう。まさかこんなふうにこの曲にバンドのみんなが音を当てているとは思わないし、こんなにも他国で愛されているとは思わなんだなぁ〜〜。

 

この曲も、疾走感が気持ち良くてとても大好き。夢中さもあいまって少し哀愁すら感じる。繰り返し聞きたくなるなぁ。

 

 

 

 

⑧I'm In Love With My Car

ロジャーボーカル!!

あの甘い顔には意外なしゃがれ声だなぁ〜という印象。でも間違いなくフレディには出せない雰囲気だよねえ〜かっこいい!

(にしても映画で"女泣かせのロジャー"なんて呼ばれてたけど、昔の写真のかわいさや色気がすごい。

 

 

 

ボヘミアンラプソディではタイトルだけ登場して、なぜかめちゃくちゃいじられていて、でも曲は流さないという焦らしプレイを受けたし、タイトルも奇抜だしちょっと興味を持った人がオペラ座の夜を聴くのかもしれない、、と思ったらこれすらも計算されているのかも?と思ってしまった。

 

元々の、ファンにとったらクスリときてしまうやりとりなのではないでしょうか?いじられ具合も含めて!実際ブライアンはそう思っていたようだし。

 

それでいうと、ジョンディーコンのいじられ方とか、だけどいざというときに大事なことをいうというポジションも、ファンには好きな演出なのではないだろうか。ブライアンやロジャーは映画にもどんどん関わっていたこともあるし、もしかしたらこれも愛なのかな〜なんて。

ジョンのことももっと知りたいなぁ〜

 

⑨Bicycle Race

車の次は自転車かよな曲順。嫌いじゃない。昔から、乗り物や機械は性の象徴だとよく言ったものだなぁ。(何も聞いてない)

この曲でなにが面白かったかって、アダムがオートバイに乗って出てきたこと。bicycleじゃないし!と思わず突っ込んだ。

 

そんな思い出。

 

 

 

 

 

⑩Crazy Little Thing Called Love

わたし大好きな曲〜!!カントリー調で、肩の力抜いた曲調が良い!フレディのギター似合わなさすごいけどアダムもなかなかだった!(失礼)

 

I must get round to it

I ain't ready
Crazy little thing called love

手にはおえないよ

この「愛」とかいうちっぽけでクレイジーなやつ

 

って感じの訳らしいんだけど、このゆるさと気怠さな感じがとても好きだ。

いろんな日本語訳を読んで、どの訳がぴったり来るかはわからないけど、自分のなかでいいなと思うニュアンスの解釈を探したり。

すればするほど、日本語訳を通さず自分で意味を受け取りたいなと思ったり。

未熟ながら言語の翻訳の勉強しているとその難しさも感じるし、ちょっと英語勉強したからできるものでもなく、でも英語にこうして興味持てることがすごいなぁ〜とも。こうしてはじまっていくのだろうな!!

 

とにかく好きな曲!

 

 

 

 

⑪Radio Gaga

念願の!サビで手を掲げるやつ!

あ〜あの一部に自分がいるんだと、感慨深い〜応援上映見に行って、すごく感じたこと。

だって、歌い続けてくれることは奇跡だし、残してくれた音源を聴くこともライブ映像を見ることはできる。だけどこうしてみんなで一丸となって歓声をあげたり拳突き上げたり、この熱気を共有することはできないんだよ。

応援上映で嬉しさと切なさを一緒に感じたからこそ。あ〜本当に嬉しい。しかも本人たちが目の前にいる。すごいことだなぁ。

 

 

 

we will rock you

これもライブ中の手拍子?やれてうれしい!

アンコール後、かっこよかった〜〜〜ツアーTシャツ着るおじいちゃん、おじいちゃん感すごくて、かっこよかった(そこ)かっこいい歳の重ね方をしているよなぁ〜〜かっこよすぎ。

 

定番なのかな?セットの、アルバムジャケの大きい人の動きがリアルでこわかった!あれは誰なの?何なの?(オズの魔法使いと自分のなかで呼んでいる)

 

 

なんというか、大きい演出をするわけではなく、でもプロジェクションマッピングとか照明の技術は最先端で、そのバランスが絶妙だと思った。エンドステージだけでのパフォーマンスもとてもろかった。あわよくば近くで見たかったけども、だからこそ全体のライトとかの演出が見られたのでとてもよかったなぁ〜〜

現実と非現実を何度も行ったり来たりしていた不思議な感覚だった。うまく説明できない!

 

 

⑭ We are the Champion

応援上映で泣きながら拳突き上げてた曲。もう本当あの時の湧き出るような感情は一生忘れられないだろうと本当に思うし、応援上映に行けてよかったし、あの応援上映が初めてで本気でよかった。

 

このツアーでも最後の最後の一曲にこの曲、もうそんなの、ずるいよね。やっぱりQueenとファンにとってこの曲はそういう曲なのかなと思うと、それを共有できているような気がしてとても嬉しい気持ちになった。わたしが個人的に高橋優に感じているなと同じ、信頼感がすごい。

 

ありがとうありがとう、強くもない、負け犬だけど、「私たちはチャンピオンだ」とここで拳を突き上げて歌えるこおに誇りを感じるし無敵だ。

 

 

 

あ〜〜結局ただの感想備忘録に過ぎないんだけど、もっともっと深めながら書きたかったのだけど、最初に掲げたのが「その時にしかかけないことを鮮度が高いうちに」だったのでこんなに時間経っちゃったけど。書き残せてよかった。

 

 

 

 

あ、ちなみに動画撮影OKライブというのも初めての体験だったのですが、わたし手拍子すらしながら聴けないくらい、聴くことと他のこと一緒にできないタイプで、、豆粒サイズだったことも相まって撮影は早々に諦めました。

ただ、この距離と、最初の登場シーンの感動だけ記録したくて録画。

 

ブライアンのシルエットが見えた瞬間に悲鳴と共にブレブレ、全然ダメだったのも一周回っていい経験であった!!

 

翌日Twitterで載せてくれてる動画を録画して回るのであった。円盤化してほしいなぁ〜!

 

 

最後の方急足になってしまったけど、フレッシュさを優先してこちらで。

ボヘミアンラプソディではまって20代Queenファンの感想と日記でした。

ちゃんちゃん♪

 

過去にクイーンにハマりたての時と、ボヘミアンラプソディ応援上映に行った時の記事を書いているのでそれもリンクしておきます。見返すと書いてよかったなぁと思うから、この記事もそうなるといいな。

 

「彼が生きてた時代を知らない世代」の感想 - 君を今日も 愛してる!

 

ボヘミアンラプソディー応援上映(時差更新) - 君を今日も 愛してる!

 

 

 

 

高橋優LIVE TOUR2019-2020 freestyle stroke

 

行ってきました!

高橋優

LIVE TOUR2019-2020

freestyle stroke

2/7大宮ソニックシティホール

 

 

高橋ライブ3度目の旦那さんと。

毎年ライブ行きたいと言ってくれる歌手が

わたしの根っこを象徴する高橋なことが嬉しい!

 

ライブでありがちな「わたしのためのセトリだった!」を本気で感じた日だったよ〜

「わたしのため」とまでは言わなくても、新旧共に思い入れのある曲や、最近思い入れのあった曲、一緒に行った人が嬉しいだろうなぁという曲、いろんな感じ方ができて嬉しかったなぁ。

 

 

 

前回のツアー、STARTING OVERで「再出発」を掲げた高橋。

今回は「初めに戻った」わけではなくまっさらな状態で新しい曲も古い曲も全部ひとまとめにしてセトリをつくったと。

 

高橋の今の気分と、今のわたしの気分がきっとマッチングしたんだろうな。

いつも高橋は半歩先を歩いてるように思うのであえてこのセトリを選んでくれたことがとてもとても嬉しかった。

 

 

そう、デビュー10周年だって。

気づいたら10年経っていたような感じだけど、悩む時期、多感な時期、孤独な気持ちの時間、多く感じる時期にそばにいてくれた。間違いなくわたしという人を象る存在でいてくれた。わたしという存在を肯定させてくれたと言っても過言ではない。

最初に見たときに、「これは聴かなければならない!」と雷に打たれたけど、正直ここまで大きくなるとは思っていなかった〜だから嬉しい。

 

 

ファン層も、いつからか変化(拡大?)を感じるようになったけど、今回は土地柄もあるのかな?

平日の公演ということだけど、学生もしくは平日お休みとってきたのかな(わたしもそうだけど)という服装の方が多かったかな。もっとスーツの人とかいるかなと思ったけど、ぼちぼちだった!

 

にしても、親世代の50代くらいの層が増えた気がしてる。昔は高橋と同年代かその下の人たちが多かったイメージだったし、デビュー当初は尾崎豊的ポジションの若者のファンが多いのかなと感じてきたけど(語弊ある?)しかも親子で来てる人もいれば50代くらいで友達、夫婦で来てる人も多かった!

 

 

 

ツアータイトルのfreestyle strokeは

水泳で言う「自由型」のこと。

そういえば入江選手からのインスパイアはあったのかな。

当時やけに入江選手との交友関係おしてたなぁ笑

実際に仲はいいだろうしそういう「実は仲良いです!」っていう交友関係多く持つだろうし高橋の人柄だと思うんだけど、やけに俳優とかとの交友関係推す時期あるよね〜〜〜少女漫画でいう好きな人の友達のいい人ポジション。がんばれ高橋!(余計なお世話)

「旅路の途中」を思い出した。あの縦乗りの感じ好きなんだよね。

 

 

 

 

 

◆駱駝

ツアータイトルから勝手に弾き語りのイメージをしていたし、開演前のステージの演出もレンガの壁に落書きのようにタイトル書いてある演出で。

あ〜路上っぽい!と思っていたのですがめちゃくちゃ嬉しい一曲目!!

 

なんかいろいろ見てたら、弾き語りセトリは変わる時もあるみたい?だね?

個人的には駱駝、とっても嬉しい!

(はじめてYouTubeで見たのがこどものうたと駱駝のpvだったの)

 

「大人は馬鹿だから 常識なんてクソだろう」

高橋もよく言うけど、10代で書いたこういう

反骨精神のうたを、「いい大人」になった自分で歌う勇気って計り知れないなぁ〜と、多感な時期にこの曲に出会い例にも漏れず大人になったわたしはつくづくと思う。

 

でもそれをさらにプラスの意味を加えてライブの一曲目に歌えるって。すごいことだ。

当時の曲もちゃんと全部高橋だったわけだし

当時に恥じない高橋に今もなれているのだろう

 

「まるくなる」ことは悪いことじゃない。

さまざまな経験をしてその上でありついてる現在は誇らしいものだとおもうし、

そんな大人を見て「結局、そう思うのか、」と思う若者もいるだろうけど、信頼のおける大人がそういう今を生きていることを希望と思えるのではないかなと最近考える。

こういう若者の気持ちを知ってあげられる大人がいることがどんだけ希望になるだろう。

 

なかなかなことを言っているし、決してhappyな曲ではないのに。

自然と笑顔になる不思議な曲。

わたしには信頼のおける高橋が居てよかった。

 

 

 

◆TOKYO DREAM

はぁ〜〜新しめな曲の中でも大好きすぎる曲。

 

ただ、歌詞の表示は無かったのと、音響もまだ2曲目だからか、歌詞が聞き取りにくく。初聴の人には聞き取れなかったんじゃないかな?

スタオバツアーはほぼ全曲に歌詞がついていたので、もったいなく感じてしまった!

ライブ初披露の曲じゃないし、あえての演出なのかしら?

わたしは歌詞重視派だし、歌詞を読みながらだとさらに、深く入ってくるので字幕が欲しくなる!

 

それにしても、言葉数多めの社会風刺的な高橋曲、なんでこんなに好きなのだろう。

社会での生きにくさや違和感を大きな声で発するほどではなくとも、同じように感じて声にしてくれる、それを一緒にくちずませてもらえるってめっちゃくちゃありがたいんだよなぁ。

たとえ自分が当てはまるエピソードというわけじゃなくても、感じるもどかしさとか悶々とした気持ちを共有できるし、余計なお世話かもだけど、1人じゃないと思えるのだよなぁ。

 

「大きな夢より気持ちいいものを教えてあげると0.03gの魔法にシャブられた人が手招いているよ"心の隙間があぁ恐ろしい""寂しさだけはもう避けていたい"」

 

このフレーズを当時聞いた時「ああ、話題のあの人のことだ」と思ったはずなんだけど、誰だったか思い出せず、リアルタイムの人もいるなぁなんて思ったり。社会風刺的な曲だと思いながらも、古い曲にならないし、あんだけ話題にもなっていたはずなのに思い出せないことにもなんだか切なさを感じてしまった。

 

ヘイトスピーチ真似するチルドレン」

ヘイトスピーチよりも、「それを真似するチルドレン」に目を向けているところが、好きだなぁと思うのです。子供が真似するぞって意味だけじゃなく、きっとその「チルドレン」にはわたしたちも入るんだ。発言の自由だとか発言の手段が増えただとかで、簡単に炎上する世の中。うん、きっと「真似事だ」と思う瞬間もたくさんあるんだよなぁ。

 

「"体罰だ""パワハラだ"と大人が騒ぎ立ててそれ見て学校で真似するチルドレン」(オナニー)この歌詞も大好きだけど、考えさせられたなぁ。

 

 

フレーズ単位で、「さすが高橋だ」とおもう瞬間と、「リアルタイムシンガーソングライターだ」(このキャッチコピーまだ生きてる?)とおもう瞬間がある。

本当は曲で聞いてほしいけど、歌詞だけ置いておくね。ひとつでも単語やフレーズに興味を持ったらぜひ聞いてみて欲しい。

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l03bece.html

 

、、ただ社会風刺って、それ自体がヘイトスピーチみたいに捉える人も世の中にはいるから、コメントには気をつけなければならないのも生きにくい世の中だなぁ。某フェスのコメントも然り。

 

せめて、音楽のなかでは生き続けて欲しいなぁ。

 

 

◆こどものうた

イントロから歓喜!!

有難いことにライブでも何度も聴いているのだけど、令和になって初めて聞くこどものうた。

「僕らの平成ロックンロール」といえばこの曲、というイメージも強いので、

「平成」という言葉がぐさっときた。

そうだ、これはひとつ古い時代の歌だ。

 

なんか、その事実が「ずーーーーーん」ときた。

何かが大きく変わるわけじゃないはずなのに、

「時代」を感じたからなのだろうか。

つくづく、古い曲にならないなぁ。。

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l022ddd.html 

 

 

 

◆靴紐

リアルタイムシンガーソングライター買って

ちょうどその年に大学入学で上京したのだけど

その時にもたくさん聴いたし支えられたなぁ

一生、思い出すんだろうなぁ。

と、感慨深くなっていた。

 

「あの頃」がある贅沢。 

きっとこの曲をリアルタイムで聴いていない層も会場にはたくさんいて。イントロの反応がそんな感じ。

懐かしさを感じる人と、嬉しさを感じる人と。

わたしがコブクロライブで感じる興奮と同じなんだろうとおもうと嬉しいし、この曲はぜひそんな人たちとか、これから新生活が待っている人にこそ聴いて欲しいので、とても嬉しい。希望になると思うんだ、わたしがそうだったように。

 

「これから起こる悲しいこと これから起こる嬉しいこと すべて受け入れていくことを怖がることをやめたのさ」

全て受け入れていくのではなく、"受け入れていくことを怖がること"をやめたのが高橋らしくて、当時からわたしの希望なんだ。

 

 

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l024934.html

 

 

 

◆君の背景

旦那さんが好きな曲とのことで「よかったねー!」な気持ち。

 

ラブソングを通してそんなふう感じているんだとか、そういう歌詞にぐっとくるんだとか、

そんな曲の聞き方、受け止め方ができるって嬉しいんだね。

 

高橋の曲に対し、わたしの好きな曲だけでかく、相手の好きな曲、という新しいカテゴリーと特別感が生まれたこと嬉しいなぁ〜!

 

orangeを通してのコブクロの未来と高橋優の光の破片で共通して使われた「荷物」という表現も再び登場して。気づいたら2人で半分にしてきるんだって。

 

「抱きしめ合えば君が背にした背景を見渡せる

その反対側を君も見ていたら360°の世界

2人で見渡せる世界」

 

この歌詞が、なるほどなぁ〜素敵だなぁ〜

お互いの背中にあるものに目を向けられること

自分の背景を相手に委ねられること

また見てる世界がいろんな見方ということも

素敵なことだよなぁ。と。

 

同じ方向見るのも、向き合うのも、大切だけど。

2人でいてこそ、な新しい視点なのがいいね。

 

 

 

結婚式でも使えたらいいなと思ったけど

2番の歌詞はあまり結婚式向きではない笑

 

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l03d014.html

 

 

◆気ままラブソング

はあ〜〜!!大好きな曲!!

久々にライブで聴けて嬉しすぎた!!

そして、旦那さんに勧めてていい曲だねって話してたりもしたからなおさら嬉しい!!

 

個人的に勝手に「斉藤和義的な歌」と呼んでいるのだけど

「高橋優的な歌」って世間的にはどんな曲かなぁとか、言われるようになったらどんな感じかなぁとかかんがえてみたりする。

 

これはぜひmvで。

スタジオ収録風で楽しそうな大好きなmv!!

https://youtu.be/fdG8VY2BQuU

 

 

 

◆未だ見ぬ星座

照明が、立体的な星の中にいるようでめっちゃくちゃ綺麗!!!

 

当時の高橋の気分なのかな〜

今の高橋の気分なのかな〜

その時その時の、その年代ごとの、

悩みをリアルに綴ってくれるからこそ、日記的に振り返るのもそうだけどひとつの自分の記録として引っ張り出してまた聴いたり歌ったりできるって素敵だし、こうして音楽で残せるって羨ましいなぁと思った。

 

わたしが「なにかをつくるひと」に憧れる理由だなぁ。

 

https://www.uta-net.com/song/190322/

 

 

◆がんばれ細野さん

これも、大好きな曲!だし、隠れた名曲として、初めて聴く人も、聴けたことに感激する人もいるだろうなぁ〜と思いながら。

 

100人限定未発表曲ライブで初めて聴けたことも、まさかの大号泣して高橋に「ええ?!」って目で笑われたことも、とても有難いし、なんだか誇らしげに思えた。

高橋〜あの日に受け取った人がまたきてるよ〜

 

それにしても、あのタイミングでこの曲に出会えたことが出会うべきタイミングだったし、また違った気持ちでこの曲を聴けた。

そして何度も、「この曲のように生きたい」と思わされた。

 

旦那さんには「変化球ほど隠れた名曲だね」と言われた!

 

今回この曲の映像は、役者高橋でした。

細野さんを探す表情、見つからなくて切ない表情。光ッテタヨ!!(愛ゆえの貶し)

 

 

 

https://www.uta-net.com/movie/146214/

 

 

◆なくしもの

正直、ノーチェックのカップリングだった。

あ〜知ってる知ってる何のシングルに入ってたかなぁ〜なんで曲だったかなぁ〜って考えながら聞いていた。かろうじてカップリングも追えていたようでよかった!

 

インディーズ時代によく歌っていた環境、ライブバーのイメージのセットだったんだけど、ライブバーのカウンターにみんなで座ってのゆるい歌い方が絶妙だったし今の高橋の気分なのかなとか。

肩の力を抜いた感じ、いいよね好きだよ〜

 

この曲はわたしにとってライブで聴いてから深みが増すタイプの曲だった。

なんだ、めっちゃいい曲じゃねえか!

 

相変わらず、高橋はこういう気分なのかな。

そういう面を見せられる存在に、この曲でいう太陽と月のような存在にココがなったと捉えてしまう都合のいいファンである。

高橋の曲は、憂いも不安も、共有できる安心感がある。

なんの解決にもなってないのに、現実という名の怪物と戦う者たちでの「傷の舐め合い」で十分なんだな。

 

有難いなぁ〜という曲。

 

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l048b9d.html

 

 

 

◆CANDY

イントロからわああああとなったのだけど

旦那さんは知らない曲だったので興奮を伝えたくて、かつしっかり聴いてほしくて(余計なお世話)

 

「いい曲」

 

と耳打ちをした後に「いい曲、という表現ではなかったなぁ」と考えてたら1曲終わってしまった。

 

これから聴く一曲に前情報何入れるか(かつ限られた時間)で印象ってだいぶ変わると思うので、そんなこと考えてしまう、、(うんうん頷いているような人がわたしの友人には多いと思っている!)

相変わらずわたしは面倒な奴だと思ったのであった。

 

 

聴いて後味がいい曲ではないけど

それだけで終わらせられないのだけど

大好きで特別な曲。

「名曲」というべきか。

いい表現をみんなで考えたいよ〜。

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l02d8bc.html

 

 

 

◆BEAUTIFUL

「CANDYの次に来るかぁ〜〜」と天を仰いだ。

高橋少年に、こういう曲のような人との関わりや存在があるのであればよかった、とより染みた。

 

高橋らしさが爆発しているこちらも名曲。

落ち込んでいる友人に会おうと誘うことを

「僕のわがまま」と表現するところも

「土足で君に踏み込むつもりはないただ君と笑いあいたいだけ」というところも。

「君らしい壁の作り方」と肯定してくれるところも。

 

「壁を作る」をプラスの意味で使ってくれたことはわたしが生きる上でのとても大きな糧になると思うんだ。ほんと、救われた〜

 

 

高橋得意の、メロディに対して文字数が圧倒的に多いパターンなのだけどサビで「君は美しい」という言葉でまとめるところで初聴やられたと思った。

多くを語らぬ、でも全部が詰まった言葉。

 

高橋は人を愛している人だと思う。

 

 

きっと、この友人と会って話をしたけども

友人の心を軽くすることができたことも分からないし

話が盛り上がったりしたわけでもなく

別れ際はやるせない気持ちだったかもしれない

むしろ力不足だと落ち込むかもしれない

正直、わたしもそんな機会はたくさんあって。

 

そんな時をまあるく包んでくれた感覚。

 

 

そうだ、人間関係ってこうだ。

と改めて思わせてくれる名曲。

それでいいと思わせてくれる曲。

 

また、言葉にできなかった感情や、

押し込めようとしていた感情を

歌にしてくれたなぁ。と思えたのである。

 

これも、「知る人ぞ知る名曲」になったなぁ。

 

https://www.uta-net.com/song/218590/

 

 

 

アスファルトのワニ

NHK発達障害促進キャンペーンに書き下ろした曲

障害福祉に携わる身として、本当に嬉しかったし、まだ一部しか公開されてなかった時に、本当ありがたいコラボだと思った。誤解を受けたり一人歩きしがちなこの問題、高橋に任せたら絶対に大丈夫だという安心感感があった。

 

白線以外はワニがいる、誰もが経験したことのある遊びを題材にしていること

つまり、社会の定める「白線」から外れたら命取りだというメッセージ

 

「丸いとこで丸にならなくていい

四角いところで四角にならなくていい」

 

もうこのフレーズだけで、高橋への信頼感と

やっぱり高橋だという誇りの気持ちが溢れた

やっぱり、間違いない。分かってくれているよ。

 

ということで期待度が増していたのだけど

フルをゆっくり初めて聞いて、

想像の斜め上を安易に超えていったよ〜

 

わたしがグッときたフレーズ以外は特に

「あ、発達障害のこと言ってるなぁ」

と感じる言葉はでてこなくて、でもそれってちゃんと、線を引いていないってことだ。

遠くの人じゃない、身近な人ってことなんだ。

なんなら自分の中にも居る人とまで言おうか。

 

 

この曲中で一貫して表現しているのは。

「自分と違うと感じる人」

(あえて自分と違うとは言い切らないね)

に寄り添う、「知ろう」とする姿勢だった。

それって発達障害に関わらず、価値観とか捉え方とか選択も表現の仕方も。

 

そう、そういう、ちょっとした「違い」なんだ。

どこまでが障害とかそういう話じゃなく、「違い」を知ろうとできる姿勢が大切だ。

 

わたしは仕事で発達障害に関わる分、「制度上対象になる人」との関わりも多い分いい意味でも悪い意味でも「当たり前」にいる存在で。

 

その人たちと「支援者」として関わるし、社会と仲介する立場にもなりうるわけで。

 

でもなんでこの世界に興味を持ったか、どう社会で生きて欲しいのか、というところまで立ち返させられた気がする。

 

あいも変わらず、特別な曲になりそうです。

 

https://youtu.be/xoCgvxrmbi8

 

まだ歌詞はネットに上がってなかったのでshort versionの動画で。

はやくまた歌詞見たいなぁ。

 

 

◆(Where's)THE SIRENT MAJORITY

めっっっっちゃ盛り上がってた!!

ここでようやく、会場が、みんなが、「表出」されたと思った!!

 

この曲は「表出」という言葉がセットになるんだなぁ。

「変化ではない表出したのだ」っていうアルバムのコピーがずっと忘れられなくて、こんなに響いたコピーは初めてだったなぁ。

 

そんな曲に育ったんだなぁ。と親のような気分。

この曲はもうなんか、当時のことを思い出してならないのよ〜。

 

あの時の高橋が大好きだし、今のわたしの希望にすらなっていると思うとおもしろい。

高橋って、こうなんだとみんなに見せたくもなる。

 

 

 

初めて聴いた時(ラジオで初披露だったなあ)のシチュエーションも、気持ちの高揚も衝撃も手に取るように思い出せるんだよなぁ。

 

実家のパソコン台に座って(電波キャッチできたのがそこだった)聴いたし

歌詞がドストライクだったのに案の定早口なので拾うことで精一杯だったラジオの音も途切れ途切れで音質も良くはなかったし。

 

でもそんななか拾って拾って携帯に打って。

そしてそれをすぐに友人にキーワード単位で送っていた

あの高揚感、本当に凄いものだったと今思う。。

 

 

「舐められてるぜ ゆとり世代

このフレーズが響く、theゆとり世代のわたし

そう、舐められているのだ、言い得て妙だと思ってしまったな〜〜

 

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l02c870.html

 

 

 

◆高野豆腐〜どこか遠くへ〜

前回のツアーで化けた曲と思っている!!

高橋らしい曲だともともと好きだったけど

どんどんどんどん好きになるなぁ〜〜!!

 

高橋の歌には日常があって、そのなかに「はぁ〜」っておもうことがあって、哀愁も孤独もでもその中でも前を「向こうとする」向けなくていいの向こうとすることが希望になる。

 

スーパーの半額シール貼られた売れ残り高野豆腐に自分を投影することもああ〜高橋だなぁ〜と思うし

 

「"酒でも飲みに行こうか"こっちから頑張って誘ったら"なんでですか?"って返された」

30代半ばの男性っぽいエピソードで好き。

経験したことあるわけじゃないけど「うわーーそのもどかしさ、わかるー」と思える不思議だね

 

「人間関係放り投げて」

の歌詞も私生活で何度も頭の中でリピートしてる。

あーー嫌だなとか面倒だなと思うこと、人間関係のことが多くて、本当「人間関係放り投げて」君とどこか遠くへ行きたいよなぁ〜。

 

変化球ほど隠れた名曲。

メロディもかっこいいのが悔しい!笑

 

会社員経験してないはずなのになんでこんな哀愁漂うサラリーマン的なうたがかけるの高橋くん?(余計なお世話)紛れもない信頼感。

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l048b9c.html

 

 

 

◆明日はきっといい日になる

ねえ、この曲順!!!!!

またもややられた!!!!

高野豆腐でのおもっきりの哀愁!!!

鬱々とした気持ちでの仕事の夜遅い帰り道。

そんななかにいたところに、「明日はきっといい日になる」なんてね。

わたしの日常での「明日はきっといい日になる」がここでも流れていた!!!

 

この曲は前後の曲で顔色を変える曲たちだなぁ

すっかり代表曲になったもんだね。

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l036354.html

 

 

◆象

これもイントロから歓声がすごかった!

この曲がきっかけで高橋を知った人がきっとたくさんいたのだろうなぁ。

そしてそれはきっと若い年代を取り込むきっかけにもなったんだろうなぁ。

高橋に出会うべく人たちに高橋の歌が届くおいうことがとてつもなく嬉しい。わたしも例外に漏れずね。しっかり受け取ってもらえて嬉しいなぁ。

 

ファンの子たち曰く、とても深い歌詞が詰まっているそう。

ぜひそのことについても教えて欲しいなぁ〜!

友人としてこめた高橋の気持ちを受け取れたらわたしにとっても嬉しい!

にしてと、セルフカバーでありながらしっかり高橋の曲にもなったね。

 

https://www.uta-net.com/song/218594/

 

 

◆頭ん中そればっかり

どっひゃ〜!わたしとわかのソウルソング!

仙台でふたりで聴いてとてつもなく楽しかった思い出が、あの日の光景が浮かぶのだ〜。

とても盛り上がっているわたしだけど、決して下ネタを盛り込んでほしいわけではないんだよ(強がり)

バックスクリーンとその仕草は、ちょっといいかな、、笑

 

でも盛り上がってたね!!

またやってね!!

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l036b07.html

 

 

◆虹

旦那さんの好きな曲!

この曲もすっかりライブの定番になったね!

そして代表曲のひとつにもなってきた感じだね!

泥臭い曲、高橋に書かせるといいね。

何度も言うけどこの曲は男性からの評価が高い気がする!

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l0418a9.html

 

 

◆one stroke

ツアー中に?できた曲とのこと!

歌いながらきっと完成していく曲なのだろうとおもう。

残念ながらあまり記憶に残ってないので音源化されるのを待つ。

 

 

 

◆微笑みのリズム

ひえーーーー

きっとみんながわたしに「今回のセトリ聞いてほしい!」と言ってくれてた理由はこれなんじゃないかな。

 

高橋と歩んできたこの10年間で、絶対に忘れてはならない曲だよなぁ。

 

今でも思う。

こんなに幸せな曲であんなにあんなに涙が出たこと。悲しい涙ではないのだけど、決して嬉しい涙でもなかった。その時のわたしのなかでの切なさもありでも高橋の存在が励みにもなった。きっとこの感情とこの曲とのエピソードには一生答えやぴったりとくる言葉はないのだと思う。

 

だからこの曲がその共通項になるのではないかな。

 

不思議だけどこの曲を聴いて泣いてきた人たちとは言葉がいらない確かな共感と信頼感があるんだなぁ。

 

聴けば聴くほど当時の私を想う不思議な曲。

狭間で葛藤したころの曲。ターニングポイントの曲。

これも隠れた名曲だと思っている。

 

 

https://youtu.be/N81nzNG2BWE

 

 

 

◆泣く子はいねが

(えーーもしかして最後の一曲?!?!?!)

って正直思ったのは秘密笑

ライブを彩る曲、ライブを代表する曲、たくさんできてきたし、高野豆腐でボルテージ上がってるし、頭ん中でお客さんも声出してるし、もうこの子に頼る必要はないんじゃないか?!なんて思っていたけど、盛り上がるよね〜(わたしも含めて)

 

バックスクリーンの映像がオリンピック×なまはげでとっってつもなくダサかった笑笑

そういうポジョンの曲もありかな!

(この曲自体は好き)

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l02d8c3.html

 

 

◆プライド

はぁ〜〜近年の高橋の想いなのだろう

「君ではダメだと言われてしまったか」

「君じゃない人の方がいいと諦められたか」

きっとそんな背景が少なからずあるのだろう

 

ライブでこの曲聴きながら思ったのは

「チキショーと叫ぶ心はあるか」

昔の気にしいなわたしから、そういう風に「チキショー」「悔しい」と思えるわたしがすこしずつ生まれてきている

眼科になるわけではなく、自分がすこしずつ確立されてきている(と言ったら大げさかな)ような気がする。

それって自分を守るためにも大切なきがするのだ。うんうん。

 

中島みゆき的といおうか、

力強く叫びながら言葉に意味を込めながら弾き語る曲。すごく好きな曲をシングルカットで出してくれたなぁという思い。

シングルカットってのがでかい!これからも期待しちゃうなぁ。

 

 

http://j-lyric.net/artist/a0540b5/l0468de.html

 

 

 

昔の高橋の曲、今の高橋の曲、両方振り返って思うのは、きっとこの10年間、何度も終えるタイミングはあったとおもう。どんな葛藤があったか、どう乗り越えたか、どんな未来を見ているか、わたしには想像しかできないのだけど、ただただ言えること。

 

歌い続けてくれてありがとう。

リアルタイムに曲を届けてくれてありがとう。

あなたとあなたが作った歌たちが、わたしの人生を意味づけしてくれて肯定してくれています。

おかげで立てています。

 

ほんとうにほんとうにそうなんだと思った。

ありがとうね、踏ん張って叫び続けてくれて。

 

 

 

今回のライブでは、とにかく「あなた」を強調していたのよ。

伝えなきゃ伝わらないのだよなぁ。

そしてお金で還元しないといけないのだよなぁ。

高橋が歌い続けられるために返していかないとと思う。

伝えていかないとと思う。

伝っていかないとと思う。

 

おこがましいのだけど、わたしのようなファンがいるから大丈夫だと胸を張れるようなファンで在りたい。

 

すっかり古参ぶるような思い出話が多いけど。

わたしの10年、高橋のおかげなのだよ〜。

そして後世に繋げていきたいと思うしみんなのおかげで今の高橋の活躍があると本気で思っている!また新しい高橋をたくさん見せてほしいなぁ〜!

 

 

ちょっと深く知りたいと思った人にも

昔から高橋が好きな人にとっても

「隠れた名曲」とでも言おうか。

ちょっと高橋を知っているよ!

ベストと、アルバムちょっと聴いたよ!

くらいの人たちに合ったセトリでもあると思う

 

あ〜〜〜いいライブでした。

 

 

 

 

ああ、そうそう。

今回は会場近くの動物園にいって、会場まで走るのが恒例化していたらしい。

こういうところ、好きだなぁと思う笑

なんというか、たてる目標が身近というか。

なんの意味があるの?と言われたらそれで終わりなんだけど、そうじゃないんだよね〜

一時期やっていた社交的キャンペーンしかり

かむかむキャンペーン?しかり

だからこそ悩むことも多いだろうし、いきづらいだろうなぁという瞬間もあり。(余計なお世話)

それも親近感。

 

 

それはさておき、こんな取り組みしているの今日知ったし!

動物園好きなわたしとしては聞き捨てならなかったんだけどなぁ〜

 

 

 

余談はそれくらいにして、

記録のために主観だらけの感想を書いたのですが〜

 

spotifyが使えればプレイリストを作って

ブログの最後に晴れるのかな〜なんて考えながらも

やっぱりアナログ人間なのでその辺一歩遅れているのだが。

昔の大切にしたいところと新しいいいものはうまく取り入れていきたいものです。

 

なむなむ。

 

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コブクロイメージカクテルを作ってもらった

 

先日TLに流れてきたこのブログを拝見して

 

hii on Twitter: "菊池風磨くんのイメージカクテルを作ってもらったらマジもんの奇跡が起きた話 - Sexy Zoneとわたし。 https://t.co/6iqyNkpKad"

 

そっこうでたみにLINEで送っていて

ふたつ返事に「行こう」となって

気づいたら予約を取っていた

(この流れの早さ、ブログの主さんと通ずる)

 

 

 

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Cafe Bar Kirinさん

東京の西荻窪にございます〜

 

 

このBARについては詳しくは上記のブログに書いてあるのだけど、

つまるところ

①好きな人について己と改めて向き合う機会になる

②好きな人について限られた中で語る力が試される

③自分の表現をお姉さんが素晴らしく解釈してくれる

④好きな人のカクテルが出てくる

⑤好きな人のカクテルの説明に無駄に照れる

⑥好きな人について味わう

ということ(結論は④)

 

 

 

まず西荻の路地にあるお店、雰囲気も素敵で、

中に入った瞬間に「あ!本気(ガチ)な人の集まりだ!」と察した

バーなので落ち着いた雰囲気ではあるんだけど

騒がしすぎず、静かすぎず、ゆとりもあって、みんながみんな

それぞれの好きについて語っていてとにかく幸せオーラが凄かった

 

好きに本気な世界って素晴らしいなぁ〜〜

 

 

「カルピス様」での予約は照れた

(説明は割愛するけど我々のコンビ名)

 

 

 

 

さて、わたしが何のカクテルを作ってもらったかって?

 

いろいろ悩んだのですよ

 

でもやっぱなにかひとつ選ぶとなったら

その人について語るとなったら

 

 

 

コブクロだなぁと

 

 

 

あえて、個人でなく「コブクロ」なのがポイント!ねぇ〜!

 

 

どんな風に伝えられるかな。

どんなカクテルが出てくるんだろうか。

 

 

「あなたにとってどうか」ということを書くので

同じ人のカクテルでも紙を書く人によって

違うカクテルが出てくるんだろうなぁ〜と思って

そんな楽しみ方もいいなと思った!

 

 

 

さて、バーテンダーさんから説明を受け、

いざ書くとなったとき、ふたりとも無言で

深呼吸してから書いてたの面白かった

 

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絶対うまく書けないよねと言って

お互い下書きしてくる準備ぶりも好きだし、

 

ブログのhiiさんも言ってたけど、

改めて文字で書く機会なんてないので

ちょっとドキドキしたし

 

学生の頃無駄にノートとか答案の裏にフルネーム書いたりしてたくせに

字が震えてて笑うし

漢字や字面から愛おしいとか考えてた(重症)

 

 

字を小さく書きすぎて、

お姉さんが別の席へ「あまり字が細かくて多いとどこが重要か分からなくなるので…」って説明してる声が聞こえてきて、青ざめたのも面白かった

 

 

※ちなみに一緒に行ったたみとは、オタク気質仲間で、いろんな感情を共有してきた仲なのだけど、好きな人は全く違うの。今日はたみはモーニング娘。佐藤優樹ちゃんのカクテルを作ってもらってたよ。

 

 

 

まず、わたしが書いた紙がこれ。

あとから読み返して面白かったし

そこがそう表現されたんだ〜!ってとこを

一緒に知って欲しいので公開しちゃうね。

 

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字が汚いのはご愛敬☆

 

 

下書きしてきたとはいえ慌てて書いているので

あとから読み返してとても突っ込みどころ満載でさ、

 

たみと腹抱えて笑ったのが

「ロマンチックフェアリーおじさん」

その部分カクテルにされたら説明受けるときどんな顔して聞いたらいいの

 

黒田さんの

「オリンピック周期で曲づくり」も

後半の「ぎょうしゅく」「はかい」のひらがなと

支離滅裂な日本語に慌てようが伝わってくるし

 

小渕さんの

「ちょっと残念な男の子が主人公の曲が多い。かわいい。自分のことかな?」

のやかましさもすごいし

 

「物語のような曲が得意(わたしが好き)」

「仕事とプライベートを分けてるのも好き」

の、自分の趣向についつ唐突に入れてくる感じ

 

 

つまるところわたしは「コブクロ」について表現して欲しかったので、

ふたりの関係性についても書かせてもらって、。

 

尊敬し合いかつ尊重し合う

互いの役割をきちんともっている

そんなところがたまらなく好きなこと。

 

「太陽と月のようで」という歌詞とともに

「太陽と月」が言い得て妙だなぁと。

太陽は自分を削って燃える。

太陽に照らされて、月は光る。

月は柔らかな光を闇に届ける。

本当コブクロにぴったりだなぁと。

 

 

それから、なるべくイメージ掴めるように

それぞれのお互いに対する発言を入れたかったんだけど

「黒田さんが話す小渕さんについて」

の発言のが圧倒的に多いのね!

小渕さんが黒田さんの声とか歌とか、俺に対してこうしてくれた、はあっても

「黒田はこういう人で」って話は少ない気がした

 

…ふたりらしいなぁ〜〜なんて気づき。

 

 

 

 

 

紙一枚に、かつ、バーテンダーさんに伝わるように書く、

伝えたいことを簡潔に(できてないけど)伝える、

いい経験になりました、、!おもしろい!

 

 

 

突っ込みどころばかり挙げるとあれだけど

なかなかいいことも書いてると思うんだよね

書きすぎて不安になった結果の下線も笑う

(あくまでわたしの視点だよん)

 

 

 

 

さて、上のような紙をわたし、

「ちなみにイメージカラーとかありますか?」と聞かれ言葉を詰まらすわたし

 

「あえていうなら対照的な2人を表したコントラストとか、、温かいイメージ、、?」

という曖昧な回答をする

バーテンダーさん泣かせですな。

 

 

 

そんなやりとりを経て

頭を悩ますバーテンダーさんをみて

ついに出てきた、コブクロイメージカクテルがこれです。

 

 

 

 

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わぁ〜!コントラスト!かわいい!

そして、真っ先に目に入る「桜」のお酒!

狙ってくれたのかもと思ったけど、

それだけじゃない深い理由がありましたよっと。

 

 

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まずは

こぶちくんイメージの

小渕酒はこれ。

 

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ジャパニーズクラフトジン「ROKU」

通称「六ジン(ロクジン)」

(調べたらサントリーが出してるみたい)

 

名前の通り日本で作られたジン。

 

 

日本ならではの6種のボタニカルを使っていて(桜花、桜葉、煎茶、玉露、山椒、柚子)

やわらかい自然のイメージの中に、山椒のキリッとしたスパイスを加えることで、やわらかさ、優しさの中にある真面目さや集中力、熱いところを表現したとのこと。

また、たくさんのボタニカルを用いてそれぞれが混ざり合っていることで人と人との繋がりを象徴しているとのこと。

 

また、言葉選びや日本語の描写が綺麗なことからの日本の花が描かれたビンもこぶちくんをイメージしてくれたのだそう。

(これがめちゃくちゃ綺麗なんだよ〜〜写真見て〜〜)

 

こぶちくん×自然の親和性のこととか

言ってなかったのにちゃんと掴んでくれた、、

六角形って形も自然のなかの造形美だよね

(蜂の巣とか、耐久性の良くて美しい形)

 

それからこぶちくんちのワンちゃん

たしか「ロックくん」だったよね

その話をライブでするときに

「5296(コブクロ)の6!」って言ってた

 

 

 

……あ〜繋がった!

(こういう意味づけするのが好きなのもオタクの特徴だろうけどそんな自分も好き)

 

 

 

続いてくろだくんの黒田酒。

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ドーバー 和酒 桜

 

もう誰がなんと言おうと「桜」

ピンクのファンシーな形じゃなく

日本らしい和のパッケージが素晴らしい。

調べたらこのシリーズ、柚子とか梅とか紫蘇とか抹茶とか日本のフレーバーを用いてるみたい。。覚えておこ。

 

先ほどのジンには甘さがないので、

甘さのないプロフェッショナルなところに

おふたりに共通するロマンチックさの意味で

甘さを表現したかったと。

 

自分で書いたくせにロマンチックって言われて

笑っちゃったよね〜〜照れる

 

 

 

 

 

そしてそれらを混ぜ合わせて

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みてこのだんだんと混ざり合っていく感じ〜!

まさしく調和、ハーモニー!

 

個人的にはこの2つを混ぜた後のカクテルの説明がグッとくるものが多かった

 

 

 

まずやはりこの層に分かれて水色とピンクの色があるのは対照的なふたりをイメージ。

 

最初はきりっとした味なのだけど混ざり合えば混ざり合うほど

先ほどの桜のリキュールの甘さがじわじわと出てくるとのこと。

 

お互いを尊敬し合う、また尊重し合う、

役割をしっかりもっているところ。

「背中を許す」様子も表現。

さらに炭酸を加えたことでシュワシュワと

活発さ、お互いに高め合う様子を表現。

 

(ひえ〜〜背中を許すって表現カッコよすぎるし、「戦友」みたいな意味合いも含まれてるような気がして、わたしが書いた以上の解釈をしてくれてるお姉さん〜〜)

 

そしてお気づきの方もいるだろう、

紙にも書いたあいつがいるのである。

音符のマドラーには太陽と月のチャーム!

よくあったなぁ〜!!コブクロだ〜!!

 

 

さらに…ガラスは波のような模様がついたロックグラスで

マドラーでかき混ぜると「カランコロン」と音を奏でるところを

コブクロの音楽性や美しさを表現してるとのこと。

 

 

 

 

 

天才かと思った。

 

 

 

 

 

 

ライトで照らすと(専用のペンライトもくれた本気さが違う)

ピンクと水色の混ざり合いとグラスの波模様が反射して影になって綺麗だったなぁ〜

 

 

味も美味しかったよ〜〜甘すぎない!

 

たみが「まーちゃんの味…」って呟いてるのもよかったし

優樹カクテルもね、素敵だったのよ〜〜

中途半端になっちゃうとあれなので多くは語らないけども

 

グラスの形やらマドラーの演出まで凝っていたこと

コブクロとまーちゃんという正反対だからこそ

楽しめた違いとかバリエーションの多さもあったと思う

 

 

 

高校時代ガストのドリンクバーで語り合っていた私たちが

西荻のバーで飲み交わす時が来るなんて。

 

わたしたちふたりの関係性の素晴らしさと有り難さとかまで語っちゃって完全に感化されてるけど

本当、好きなものも全然違うけど、

根っこにあるものがおなじなので、

伝えたいと思うことがたくさんあって

そこは誰にも入り込めない唯一無二なんだなぁ

 

 

またこういうの見つけたら行こうね。

 

 

 

 

 

とにかくこちらのCafe Bar Kirinさん。

バーテンダーのお姉さん方が素敵で

好きな人について語るのも全部受け止めてくれる空気があった!

好きに溢れた空間だし熱い人が多いのだろうなぁ。

 

そしてなんども言う。

 

解釈力と想像力と表現力のかたまり。

勉強もされてるだろうし才能もあるよお姉さん〜〜

 

すごいよ〜〜ばっかり言ってた

 

 

アニメや漫画のキャラやメインではあったみたいだけど

アイドルでもアーティストでもいろんな人のイメージカクテルを作ってくれそうだよ

熱い尊い想いがある人には特にオススメ

 

同じ人のカクテルでも紙に書く人の感性で

全く違うものが出来上がりそうな予感もしてるので

皆様是非。

 

 

 

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http://barkirin.moo.jp/index.html

 

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大阪にも姉妹店ができたようだよ!

 

 

 

あ〜楽しかったね

好きな気持ちって素晴らしいね、

 

 

最後まで読んでくれてありがとうございました!

 

 

 

 

 

バットじゃなくてミットをもってくれ

幡野広志さんの記事を読んで

言い得て妙だと感じたし

忘れたくないと思ったので綴る

 

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「優しい虐待」

 

 

素直にでた言葉

優しさで言った言葉

慰めようと言った言葉

気づきを持たせたくて言った言葉

言葉に詰まって絞り出した言葉

救いたくて言った言葉

良いこと言いたくて言った言葉

一目置かれたくて言った言葉

誰かの代弁として言った言葉

 

いろんな気持ちがあるのだろうけど

 

 

 

誰かに届くことばって

言葉だけじゃないのだろうなと

 

間だったり

表情だったり

共感だったり

言葉を選ぶ作業も

 

 

 

「バットじゃなくてミットをもってくれ」

もまさしく本当にその通りだと。

 

聞こえてきそうな声も、

見透かされていた!

 

 

 

すごく腑におちた

 

 

 

そしてそれでいいんだと思えた

何か相手に返さないと、と思うわたしもいたんだなぁ

 

 

 

 

 

バッターでなくキャッチャーでいられる

そんな人でありたいなぁ。