君を今日も 愛してる!

おもいを綴るばしょ

からだと生活と向き合う

ちょっぴり気持ちが下がっている時ほど

書き留められないものだなぁ。

 

この三連休はそれぞれ充実できたけど

自分の弱さに心が落ちて、ただ落ちだすと

内に内にと気持ちが向いてしまって

快方に向かわない上に、ちょっぴり偏った考えに陥りがちだ。

 

予定が詰まるとやり切れるか不安になり

さらに内に内にと向かってしまう

まずはやっぱり今年はゆとりを持つこと

分かりやすい目標にすると、

 

 

①仕事の前日の休みは家でゆったりと過ごす意識をする

②平日はなるべく予定をいれず「生活」を送ることを意識する

 

 

偏りすぎるとしんどくなるので我慢じゃなく意識をする

ためにしね、まずは、自分のキャパを知ることだ。

 

 

 

それから、自分の身体に向き合う1年にしたい!

 

 

①白湯を飲む温かい飲み物を意識する

②湯船に浸かる

③キャベツの千切り食べる

④30回噛む

⑤ストレッチをする

 

 

 

 

も、まずはやってみたいものである

知人のつてでリンパドレナージュを体験してきたのだけど

優しいタッチで温かい手で撫でられる気持ちよさと

血流やリンパの流れでか体がポカポカしてきてる帰り道

 

じんわりと身体を労る時間って大切なんだなぁととても思った!

前述の通り白湯を飲むように意識しているけども猫舌なもので時間がかかるのだけど、その時間がまたいいのかもなぁなんて。

 

 

猫舌だから温かいものって時間がなくて飲んでなかった、何に生き急いでるんだろう。

 

 

「ホッ」とする時間ってある?

と聞かれて考えたのだけど、

 

平日は帰ってきて「生活」して睡眠時間を確保するためにばたばたとお風呂入ってとりあえず湯船使ってしんどくなりながら髪乾かして(この時間がとても嫌い)寝るだけになっている

 

平日で「ホッ」とする瞬間を意識的に作りたいしせっかくなので湯船の時間も寝る時間も安らぐ時間にしたいものだ。

 

友達とケラケラする時間も大切だから

我慢も内に内に向くこともしたくないけど

「生活」をしながらひとつひとつを

余裕のない焦りと不安を纏わずに

全力で楽しめるような生活をしたい

そのために「生活」を見直そう

 

 

「家事」と書くと義務な作業のように感じるので

あえて「生活」と書きました。

 

 

自分の中の記録。施術で学んだこと。

おしりがはって血流が滞っている

背骨がずれていて肩甲骨付近が疲れる

足首から先が冷えている

脇下から胸にかけてをほぐしてあげるといい

歯を食いしばる筋肉が強張っている

冬は汗が出にくくて尿で溜まりやすいので腎に負担がかかりやすい

お茶を飲んで身体を温めながら循環させるといい

ミネラル豊富な黒い食べ物を食べるといい

紅茶はカフェインあるけどコーヒー緑茶より身体を温める

生姜チューブやシナモンを少しいれてあげると体が温まる

 

時間的にもお金的にも負担になるものは続けられないので、実践できそうな自分でも心地いいと思えるものから取り組んでいくのである!

来週煮豆作ろうっと!

 

 

 

 

ボヘミアンラプソディー応援上映(時差更新)

 

※下書きに眠っていた記事を成仏させる。

2019/2/8に行った応援上映の記録です。

時差があることをご了承下さい。

 

 

 

 

いってきました!

ボヘミアンラプソディー応援上映

 

「永遠はない」「行きたい時、やりたい時がピーク」そんな言葉が行き交うこの頃。

立ち止まった経験があるからこそ感じる重さ、

それでも忘れがちになる今の有難さ。

 

彼が生きているという事実が「今」はないことも

わたしの中でこれらの言葉が渦巻く理由の1つだろう。

 

上映場所と上映時間と生活と……

そのどれもがマッチする瞬間がありました

そんなわけで思い立って行きました。

 

いつまでかがわからないから今行かなきゃ!

 

 

 

仕事終わりにも行ける終電も残ってる

そんな有難い有難い条件に。

珍しく金曜日に予定がなかった奇跡。

そして明日を気にせず楽しめるという思いがけないプラスアルフア。

 

 

1人映画や、同じ映画を二回観るというものに憧れながらも、

映画をあまりみないわたしにはそうしようと思うほどの熱意や気力がわかなかったのだけど

来るときにはちゃんと来るんだね。笑

 

 

もしかしたらまたそういうタイミングに出会うのかもしれないけど、それはもしかしたら数十年後なのかもしれない。そもそも来ないかもとも思っていたけど、本当「来るときは来る」

だからあれこれ考えず気持ちに正直にいればいいのだとここでも思えた。

 

 

仕事終わりの映画、1人映画、2回目の映画、応援上映

初めてづくしだからこその高揚感。

仕事終えて事務所を出る時からもう高揚感爆発!

 

いろいろといろんな人のブログレポを読んで、

「誰も声を出してなくて盛り上がらなかった!」

だったり

「最高の一体感!実際のライブさながら!」

だったり

まぁそりゃそうなんだけどいろんな感想が飛び交い、、

新宿であることも、仕事終わりにちょうどいい時間なことも、金曜なこともあるし、と期待して。

 

事前に調べた内容から、ビールを買ってみて。

つまみもコンビニで用意したりして。

サイリウムは悩んだけど、当時70年大80年代のライブの雰囲気で楽しみたいので割愛。

100均でつけ髭、、??ちょっと楽しそうだけどやめておこう。

 

この情報収集としたり準備したりする時間も最高だったんだよな〜〜〜〜

 

 

映画館に早めについてふらふらとしていたのだけど

スーツを着てビールを持った50代くらいの方が多く、

「おっあなたもですか。楽しみですな。」なんて頭で話しかけながら

ロビーの画面で予告映像が流れた時にはそのサラリーマンと視線をスクリーンに向ける。

無言の中、肩に現るリズムがたまらなかった。

 

映画の前からスタンディングオベーションですよ。期待マックス。

 

 

劇場に入ってみると、改めてみて、

やっぱり当時のファンなのかな?というくらい

50代、60代の方々が圧倒的に多く。

なんだか映画館というより少し品のある劇場に来ている気分。

 

隣に座る50代くらいのご夫婦も素敵だったなぁ。

おそらく奥さんがQUEENのファンで、

旦那さんは、当時聴いていた、程度だったのだろう。

そんな旦那さんがいるからか、奥さんは最初から幸せそうにニコニコしながら小さく手拍子をしていて、

歌ったり手をあげたりということはなく控えめな印象。

 

でも幸せなオーラがすごかった。

この人はどんなふうにQUEENを聴いていたんだろう。

と、想いを巡らせてしまった。

 

 

当時の彼らをみていた人もいるだろう。

来日した時にライブに行った人もいるだろう。

フレディが亡くなってどんな気持ちだったろう。

この映画が出るまではどのようにQUEENの音楽に触れていたのだろう。

そして映画はこの人にどう響いたのだろう。

応援上映、そりゃあくるよなぁ。

なんて思いながら。

 

後にこの時の想像は容易くこえられていくのだけど。

 

 

 

 

 

正直、映画をもう一度見たいというより、

ライブシーンをもう一回みたいんだよね〜〜

なんてなかしてたけど、映画の一瞬一瞬も改めてよかった。

 

ああ、映画ってこうして楽しむんだな!なんて映画ファンってこんなふうに楽しんでいるのかななんて思ったりなんて。

いいなぁ〜かっこいいなぁ〜という憧れと敬意。

 

 

ライブシーンはもちろん、

それ以外の描写で印象的なシーンがあって。

 

フレディがメアリーと電話越しに話していて乾杯するシーン。

本当はメアリーは電話越しにグラスを持っていなかったし、乾杯もしていなかった。

この時のメアリーの心情とフレディの心情と

小さな嘘と、心が通じ合っていない切なさ。

 

aikoの二時頃を彷彿させると個人的に思っていたり。とにかく形容できない切なさ…。

 

事前調査の時に、このシーンで小さく一緒に乾杯をしたと書いている人がいて、もう、なんだか、めちゃくちゃグッときた。わたしもした。

 

 

ライブシーンもね、最初の方はみんなちょっと周りを見ながら遠慮しつつ、、だったのだけど、

最後のLIVEAIDのシーンでは、本当にライブさながらで。

「ライブさながら」のこの高揚を言葉で伝え切れないのがもどかしい。

 

 

拳突き上げて、声張り上げて、最後のWe Are The Championでは自分でも笑ってしまうくらいに泣いていたし、今でもイントロからこの感情を思い出して涙こみ上げてくる、、

 

 

上品に観ていた隣のマダムが、ぎゅうっと握った拳を震わせていたの。

突き上げはしないその震える拳をみて、

 

ああ、すごいところに来てしまった。

何十年も経ての想いとともにこの空間にいるのか。

と、胸が熱くなった。

 

たくさんのレコードやCDを残してくれた。

DVDもある。たくさんの記事もある。

だけど、ファンが集まり、一緒に歌い拳を突き上げる。

こういう共有する場がないということは、、、そういうことだ。

 

本人ではない映像のライブ、というものは当時を知るファンにはどう映るのかなとも思ったことがあったけど、

きっと、そういうことだ。

 

お客さんの手拍子が、ライブを完成させるって

どこかのこぶちやたかはしも言っていた。

これもきっと、そういうこと。

 

だから大切にしなきゃいけない、

ファン同士で情報に一喜一憂できることも

リアルタイムで共有できることも

新しい作品を待てることも、

彼らが目の前にいることも。

 

親にも近い世代の、拳を突き上げ、

音楽に夢中になる姿。

何十年もの想いが産んだ光景。

本当に本当に、この場にいれてよかった。

ボヘミアンラプソディという映画も

QUEENという音楽も。

応援上映を経験してこそだと思えた。

 

一生忘れない経験になったなぁ。

世界一幸せ者だと図々しくも感じた、

 

幸せと充実感と、すごい音楽を知ったんだぞという誇りに包まれながら終電近くで家に帰ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はじめて」ライブを控えて

実は!わたし!

夏から待ちに待ったライブを2週間後に控えています!

 

なんでこのタイミングでっていうのは、

ライブ後の記録ってたくさんあるけど、

ライブ前の記録ってないなぁ

こんなに楽しみにしてるのになぁ

なんてふと思ったから!

 

 

しかも「はじめて」記念のライブなの!

そしてこれもさっき気づいたんだけど、

雷に打たれたように夢中になってから

ちょうど1年が経過した!

 

「ブーム」のひとつにまとめられず

1年ずっと大好きで聴くたびに胸ときめいた

2019年に新しく得たものと聞かれたら

間違いなく彼らを挙げるだろう。

 

そう、QUEEN!!

 

わたしね、あの、QUEENのライブにいくんだよ!

 

 

http://y-52cm.hatenablog.com/entry/2019/01/10/220426

 

blogに書き残しておいてよかったなぁ。

と、読み返して思った。

応援上映にそのあと行った記事が下書きから出てきて、書き上げなかったことが悔やまれるのだけど、今からでも書きたいと思うくらいいい日だったので、もしかしたら追いかけ更新もあるかもしれない。むふふ。そしたらよろしくね。

 

 

QUEENの音楽にどハマりしてからというもの、

わたしが生まれた頃にはフレディはこの世にいなくて

あくまで歴史上のバンドだと思えていたし

本気で悔しくなったりもした。

 

今回もボーカルはフレディじゃないのは

やっぱりちょっぴりだけ悔しいけど、

それでも、メンバーが一緒にやりたいと、

フレディのパートという重役を任せると、

そう思わせた、引き受けたこと、すごいよなぁと素直に思って期待している。

 

あんなに、時代が違うことを悔しがった

そんなバンドの、

まさか、ライブに行けるんだよ

 

すごいよ〜〜〜

 

 

 

 

このタイミングで映画がブレイクしてくれたこと

このタイミングで来日してくれていること

チケットを手に入れられたこと

 

本当にすごいことだ、と思っている。

 

 

 

それも、ずっとファンでいた親くらいの世代の人たちと

80歳になっても音楽を続けてくれている彼ら。

 

フレディとの音楽を残すこと、繋ぐことを使命とすら感じているのだとひしひしと感じるし、

 

固定概念やプレッシャー折れず新しいことにチャレンジし続ける、

なにより本人たちが本気で楽しんでる!

 

 

ボーカルを変えて歌い続けるということ

きっと、いろんな声があっただろうけど

きっと、いろんな葛藤もあっただろうけど

伝説のバンドなんて言われるが故にやりにくいこともあっただろうけど(勝手な想像)

 

それでも新しいチャレンジをしてくれる

かっこいいおじいちゃんたちのおかげで

この機会があるんだと本気で尊い気持ちになってるんだ〜〜。

 

 

わたしは最近何度も同じ人のライブにいっているもんで、

「はじめて」が久々なのですよ。

 

ずっと好きだった人をはじめて目の前にした時の不思議な感覚、本当にいたんだ〜〜〜って気持ち、味わえることがありがたいなぁ。

 

コブクロとの、高橋優との、aikoとのはじめたしてはどうだったかな。

今回わたしはどんな気持ちになるんだろう。

 

家に帰ったら、1年前に必死にコピーしたアルバムの歌詞カードとライナーノーツを読むんだ。

あと2週間、どんどん気持ちを高めていこう。

待つ時間は、その時しか味わえない時間。

 

まとまりはないけど、気持ちの高まりに任せて、ためしに書き残してみる。

 

 

 

 

 

 

おしごとのはなし

わたしは、障害者の人を社会に送り出す支援をしています。

いわゆる「卒業生」をたくさん出していくもの。

 

毎年、一部の利用者(今も定期面談してる人もいるけど)からわたしの名前宛に年賀状が届くことがひそかな楽しみなんだけどね。

 

 

 

今年は「グループホームに入り毎日嬉しいです」と書いてくれた利用者にグッときた。

 

 

 

グループホームに入る」ということは、業界の人にしか分からない感覚もあるかもしれないし個人によって事情は様々なのだけど、この人の場合は、「親元を離れてひとりだちの一歩」という意味合いを持つ。

 

本人や家族にとって18歳の大学進学、22歳の就職で、

一人暮らしを始めるような感覚、かな。

 

 

 

この人はお母さんともいい関係を築かせてもらっていることもあり、わたしのなかで大きな存在だったし、家族を含めた、将来をふくめた支援観を育ててくれた家族だと思っている。

 

 

くわしくは割愛するけど、

本人を特別扱いしないこと

本人の決定を尊重すること

たくさんの葛藤があっただろうけど

この二本柱がとても素敵だなと思う

そして人間らしさを見せてくれるお母さんで。

 

面談で「グループホームに見学に行った時に、(本人気にしてないけどお風呂は古くあまりきれいじゃなかったらしい)ああここで暮らすのかぁとおもったらちょっぴり切なくて」と話してくれた。

 

わたしの母が、就職して引っ越す時の内見で言っていたことと同じだった。

 

 

娘が暮らす家の雰囲気ってそりゃ綺麗な方がいいけどそんなに気にするのかなと思っていたが、そういうものなんだろうなぁ。と思えて、胸がきゅっとした。

 

そして、同じなんだなぁ。と。

 

母としての気持ちは想像でしかないけど、

子育てもしたことないような小娘だけど

家族のことを尊重したいと大切にしてきた。

ちゃんとそれも伝わってたことが嬉しかった。

 

 

就職が決まった時の寄せ書きに

「自分で見つけて自分で選んだ道、よかったですね。よろこびと責任を持ってたくさん成長してください。」と書いた言葉が、

(若い子たちは自己選択がテーマだと思って支援している)

とてもわたしらしくて嬉しかったと話してくれた。

 

他の保護者にわたしのことを

「将来と家族を意識して関わってくれた。」

「親よりも娘を分かってくれるかもしれない。そんな存在がいることが娘にとってありがたい。」

と言ってくれたらしい。

 

とてもうれしいなぁ。きっと一生励みだろうな。

 

 

なにより、面談で仕事の話だとか

作業所での取り組みだとか課題だとかでなく

 

親としての気持ちをたくさん聞かせてくれてたこと

その「本人」の話がたくさんできたこと

「ここで本人のためにあえてこうしてみたんです!」というがんばりを聞かせてくれたこと、

そして挑戦して失敗してしまった笑い話、、

 

 

もしかしたら友達とのカフェでのお話みたいだったかもしれない

支援者と家族の面談らしくはなかったかもしれない

 

でもわたしが大切にしたいことも

本当に必要だと思うことってそういうことだ。

 

 

 

 

 

もちろん、その中には、

知識も経験も専門性も必要。

だけど専門性の強い仕事だからこそ

役割分担と線引きが重要な仕事だからこそ

知識と経験と専門性を武器にしたなかで

そんな関わり方をしたいと強く思った。

 

 

 

もっと言えば、業績の統計だけでみられたら

この人のケースは褒められる結末ではなかったかもしれないけど

わたしと本人と家族の中では最善だったし

最高の結果だし将来に繋がっていると確信してる。

 

 

 

 

社会に送り出すということは、

こういうことなんだ、この一歩をきっかけに

たくさんの扉を開いていくんだ、と

わたしの役割の大きさを再確認したし

よろこびだなぁと思えて書き記したくなったのであった。

 

 

そんな人たちがいることを、

ぜひ覚えていてくださいな。

うれしいきもち。

 

ほんとのきもち(お正月帰省のはなし)

2020年の年越しは、旦那の実家でしてきました〜

 

帰省では当たり前な気疲れもそりゃあったけど、何よりいままでで1番、その家族の雰囲気や育てられた環境を見せてもらえた気がしてとても幸せな気持ち。

 

素敵だなぁと思ったのは、

家の文化が出るお正月の料理。

お母さんのつくるものは、嫁いだ先の文化もあるけど、ちゃんとお母さんの実家の味が受け継がれていた。

 

「◯ちゃんのつくるこれ美味しいからいつも頼むの。」とおばあちゃんが言っていた。

 

お父さんも「お母さんもこういう料理をこっちに来てからつくるようになった。最初はとても苦労したと思うけど一緒に何度も台所に立ったからね」と言っていた。

 

最初は「いいよって言われても料理手伝えや!」って意味かと思ってビビっていたのだけど、きっと、単純にお父さんからお母さんへの敬意だったんだろうなぁと受け止めることにした。(自分なりの解釈も今後に活かしたい)

 

そんなふうにわたしも30年後言えたらいいな。わたしの「これ美味しいから作って!」料理をみつけたいなぁ。

 

 

 

 

ー 他人の2人が一緒に生きているのだから、「すれ違い」というものはそりゃまああるけども、わたしの抱くもやもやを話せば受け止めてくれる人でなおかつちゃんと感じてくれる人で良かったなぁと思う。

 

そのうえで。

 

わたしは自分の「ほんとのきもち」を大切にしたい。向き合いたいと思うのである。

 

考えすぎだと思うこと、死ぬほどある。

でもね、いままでもそうしてきたから今のわたしがある気もしてる。

 

突然、感情が爆発すること、わたしたま〜にあるのである。怒るとかあたるわけじゃないんだけど、涙になることや文章になってしまうこと(主にsns)人の迷惑になることには気をつけたいと思うし2020年の目標でもあるんだけど、

 

それが自分の「ほんとのきもち」なのだと客観的に気づく指標にもなるのかも。

「なおすよりも、その自分との生き方を考える」

あ〜障害福祉をするなかで大事なこと、自分と生きるために戻ってきたなぁ。と今思った。

人の迷惑にはならない程度でね!

 

ストレスの逃し方は知らねばならぬ。

 

自分の気持ちの逃し方、自分が楽に生きる方法を身につけていかねばならぬ。


自分の気持ちを処理する方法よりもそんな悪い感情が生まれる前にそんな場を避けるとか。
できるか、できないか、じゃなくて、余力をとっておくような過ごし方をして行かねばならぬ。

 

なぁと。

 

 


前にポロリと誓った「自分のために生きる」は結婚と反対に進んでいるわけじゃなくて(語弊があった!)

 

結婚したからこそ、

 

わたしが誰かのせいにせずに依存せずに生きていきたいなという意味に近いかなと時間が経って感じている。

 

例えばね、両親とまめに連絡とったりしてるのも、仲良くしたいと思っているのも、親戚や友達によく思われたいのも、わたし自身の本音だ。もんね。

 

 

 

 

「ほんとのきもち」

高橋優さんの、Mステ初出演

ドラマの主題歌にもなった名曲です。

まだあの頃は名前を言っても誰?という人が多かったけど、この曲で高橋優を知った人も多いんじゃないかな。

 

ことの真相は誰にも分からない

孤独にも感じる瞬間もあれば

それでいい、それがいいと思う瞬間もある

 

だけど、

「君が好き」

そんなシンプルな気持ちは確かで

その5文字にすべてが凝縮されてる。

 

やっぱりね、高橋はちゃんとわたしたちの気持ちを感じたうえで受け止めたうえで、すくってくれるんだよね。

 

 

その声を枯らしてまで

その命削らしてまで

みつけ出したいものがこの世の中のどっかにあって

それが何であれ試行錯誤し

傷つけ癒し合う僕らの今日

 

 

ありがたいなぁ。

話はされたけど、そんな気持ち。

 

 

 

2020年は自分のためにもらって嬉しかった気持ちや、人からもらった言葉を書き留めていきたいなぁと思っている。人から見た自分も自分だとむしろ、そんな自分こそ自分なのではないかと最近感じている。

 

2020年はブログも書くぞ。

何も考えず記録用に書き殴ります。

 

齋藤陽道写真展「感動、」

行きたいなぁ〜〜と思っていた齋藤陽道さんの写真展、行くならこの時間しかないと、急遽行ってきたら、たまたまトークショーが開催されていた!

 

どうやらお相手は写真集「感動」を出版した出版社の方。姫野さん。

 

手話と手話通訳を中心に進むのかな〜〜なんて思っていたけど、

手話だったり、筆談だったり、パソコンの打ち込みだったり(どうやら初めてだったらしい)、いろんなことばを使って進行。

 

手話勉強者のわたしにとっては齋藤陽道さんの手話をたくさんみたい気持ちはあったのだけど、「ことば」を大切にする齋藤陽道さんだからこそ、通訳を介した言葉ではなくて、言葉選びひとつひとつひとつ、齋藤陽道さんの選択でみれたのがとてもよかったなぁ。

 

パソコンの打ち込みも、

「う〜〜ん」だったり「、、」だったり「改行」だったり。考える表情も。

それらひっくるめてそのトークショーの「ことば」だし「空気」だったなぁ。

 

 

わたしが入門クラスの時から可愛がってくれている先生と、ラインを交換した後に1年間の感謝をラインで伝えようとも思ったけど、「手話で」自分の気持ちを伝えたいと思ったのを思い出した。

 

言葉選び、ニュアンス、わたしなりに大事にしたいと思っているので、それを手話でも、自分の気持ちに近いかたちでひょうげんできるようになれたらなぁ。

 

そしてそれは通訳にとっても大切なことだと思う。

 

うん、手話勉強者としても、そうでなくても、

その人に合った「ことば」をえらびたい

自分の感情となるだけ近い「ことば」をえらびたい

それがわたしの根底にあることを再確認できた。

だからってどっちだけでいいわけでもないことも。

 

 

、、、

 

 

さて、齋藤陽道さんは、

SNSを通じて、物事の感じ方だとか切り取り方、ことばの選び方にとても惹かれていたんだけども、

 

実際にお会いして、ことばが紡がれる間、表情、雰囲気に改めて魅了された!

 

表情も空気も「ことば」だなぁ。

 

 

 

 

そしてこれまた素敵な奥様と愛息子くん(私にとっては芸能人のよう)もお会いしたのがとても嬉しかった!かわいいなぁ〜〜

 

SNSでの「せかいはことば」についてもまた今度、「異なり記念日」と一緒に綴れたらいいなぁ。

こどもが好きな人も、こどもの感性が好きな人も、それを受け取る齋藤さんの感性も言葉選びも。

本当にドンピシャに好きだし、毎回素敵だなぁと思う絶妙な言葉選びをみられるんだぁ。

 

 

 

 

 

そして、質疑応答はもちろんだけど、声をかける勇気はわたしひとりだったらなかったんだけどね。

 

てるが、服のブランドが知りたいから聞いてっていうことを執拗に言ってきたので、、

でも、こういうところ、わたしだったら緊張してできないような、人の中に入っていく力というか。さすがだなぁと思うのだ。

 

てるが話しかけて、陽道さんは紙とペンを探したけど、手話でわたしから質問させてもらった。緊張もしたけど、なんだかドキドキだけではない、高揚感もあった!

 

わたしの拙い手話だったけども

「え、ふく?」と最初は戸惑っていたけども

「これ、読めますか?」とロゴを見せてくれて

紐?毛糸?で筆記体の英字がかいてあるデザインなんだけど、

なぞる指をみる。

 

 

「らっこ」

 

 

自然とみんなで驚きと笑い。

どこで買えるのか尋ねると

「とちゅうでやめる っていうブランドです。おもしろいですよね。」と。

 

 

「えーっ!そんなこと聞くの?写真でも本でもなくて?」と思ったけど、聞いてよかったしエピソードがあったし、こういうこと、今回に限らずよくあるなぁ。と不思議なところで感慨に浸っていたのであった。

 

こういう人とのきっかけの作り方がわたしにはできないなぁ。考えすぎるからかな。

脱線しちゃった。笑

 

 

そして、そのあと、

ツイッターをいつもみていること、

「せかいはことば」がすごく好きなこと、

いつきくんがかわいくてしかたないこと、

今日も来てくれてると教えてくれたので、

会えて嬉しかったこと、

トークショー中りんごを丸かじりしていて衝撃的だったこと笑

をお話しできた、たったそれだけだったけど、

すごくすごく心がホカホカだった。

 

目線をしっかり合わせてくれて、

わたしなりのことばをうけとってくれて

書いたり口話だったり、わたしに合わせてくれたこともよくわかるし

「あいてにわかりやすいことば」を尊重する陽道さんだからかもしれない。

うん、わたしもだから手話をやっているんだった。

 

なにより醸す雰囲気かな。

 

一気に惹かれました!!

 

やっぱり実際に顔を合わせて話すこと、

SNSでいつもみている人憧れの人」

で終わらず齋藤陽道さんのひととなりを

肌で感じることができてよかった。

 

わたしは人との関わりであってからがスタートだなぁ~!と大切にしていきたいことが見えたのが嬉しかった!

 

 

わたしが大切にしてること、夢中になっている世界、

無理強いはしないけど、てるにも触れてもらえて嬉しかった。

ろう者の世界。手話の世界。

 

てるにとってはあたらしいものだっただろうな。

わたしの世界をもっとみてほしいし、

本当はもっともっと触れてもらいたいなぁと思うし

本当は紹介したい人もたくさんいるんだな。

 

 

 

 

 

音がない世界で生きる分目で見ること感じること言葉に対しての繊細な表現はもちろん、愛する人との関係、関わり方、生活の感じ方、、ひとつひとつ抱きしめたくなる本なので。異なり記念日。

 

本をあまり読まないわたしだから

こんなに読み返す本に出会えてよかった。

さくらももこ以来笑

 

せっかくそんな本に巡り合ったんだもんで、

その本の感想もブログに書こうと思う。

きろく。

気ままラブソング

気ままラブソング

高橋優

 

もっとうまい活用の仕方があるだろうにと思いながらもうまく使いきれてないブログだし、本当は残しておきたいこともたくさんあるのだけど……

と思いながらもそんなもん関係ないや!って思えるくらい綴りたいと思う内容がある。

そんなときに筆をとっている現状なのだけど、そんな記事はやっぱり見返すと"音楽"に関係することで。

 

すべては結果論だけど、

結果にあれこれ理由をつけることは割と嫌いじゃない。

なんともない結果になるか意味を持たせられるかはその人次第だと思う。

そんな人が、素敵だと思える今の見出し方ができる人がわたしの周りには沢山いる。そう思うのです。

 

そんな人たちへの憧れも含めながら、やっぱりこのブログは

こうあるべき

にも

こうしたい

にも

囚われず、これでいいのだと思う。

 

あれこれ考えてるのに、形にできないなぁ

と思うことはあったけども

もしかしたらあれこれ考えてることも

邪魔なのかもしれないとも思ったり。

 

何気ない瞬間に意味を見出したいと語る自分と

矛盾する部分もあるけどそれでいいんだと思うんだ。

 

今が最高、

 

いつだってそう思える自分が単純で薄っぺらい人間なのではと悩んだこともあったけど

それでもいい。

そんな自分嫌いじゃない。

と、最近思うのです。

 

今が最高と思える、一番の理由の、

最高な今にいるからかもしれない。

楽しいんだ!

 

ってことを書こうとしたけど前置き長くなったので次の記事に本題はかくね。笑

 

気ままに綴って行こう。

タイトルは人生へのラブソングの意を込めて。