君を今日も 愛してる!

おもいを綴るばしょ

ボヘミアンラプソディー応援上映(時差更新)

 

※下書きに眠っていた記事を成仏させる。

2019/2/8に行った応援上映の記録です。

時差があることをご了承下さい。

 

 

 

 

いってきました!

ボヘミアンラプソディー応援上映

 

「永遠はない」「行きたい時、やりたい時がピーク」そんな言葉が行き交うこの頃。

立ち止まった経験があるからこそ感じる重さ、

それでも忘れがちになる今の有難さ。

 

彼が生きているという事実が「今」はないことも

わたしの中でこれらの言葉が渦巻く理由の1つだろう。

 

上映場所と上映時間と生活と……

そのどれもがマッチする瞬間がありました

そんなわけで思い立って行きました。

 

いつまでかがわからないから今行かなきゃ!

 

 

 

仕事終わりにも行ける終電も残ってる

そんな有難い有難い条件に。

珍しく金曜日に予定がなかった奇跡。

そして明日を気にせず楽しめるという思いがけないプラスアルフア。

 

 

1人映画や、同じ映画を二回観るというものに憧れながらも、

映画をあまりみないわたしにはそうしようと思うほどの熱意や気力がわかなかったのだけど

来るときにはちゃんと来るんだね。笑

 

 

もしかしたらまたそういうタイミングに出会うのかもしれないけど、それはもしかしたら数十年後なのかもしれない。そもそも来ないかもとも思っていたけど、本当「来るときは来る」

だからあれこれ考えず気持ちに正直にいればいいのだとここでも思えた。

 

 

仕事終わりの映画、1人映画、2回目の映画、応援上映

初めてづくしだからこその高揚感。

仕事終えて事務所を出る時からもう高揚感爆発!

 

いろいろといろんな人のブログレポを読んで、

「誰も声を出してなくて盛り上がらなかった!」

だったり

「最高の一体感!実際のライブさながら!」

だったり

まぁそりゃそうなんだけどいろんな感想が飛び交い、、

新宿であることも、仕事終わりにちょうどいい時間なことも、金曜なこともあるし、と期待して。

 

事前に調べた内容から、ビールを買ってみて。

つまみもコンビニで用意したりして。

サイリウムは悩んだけど、当時70年大80年代のライブの雰囲気で楽しみたいので割愛。

100均でつけ髭、、??ちょっと楽しそうだけどやめておこう。

 

この情報収集としたり準備したりする時間も最高だったんだよな〜〜〜〜

 

 

映画館に早めについてふらふらとしていたのだけど

スーツを着てビールを持った50代くらいの方が多く、

「おっあなたもですか。楽しみですな。」なんて頭で話しかけながら

ロビーの画面で予告映像が流れた時にはそのサラリーマンと視線をスクリーンに向ける。

無言の中、肩に現るリズムがたまらなかった。

 

映画の前からスタンディングオベーションですよ。期待マックス。

 

 

劇場に入ってみると、改めてみて、

やっぱり当時のファンなのかな?というくらい

50代、60代の方々が圧倒的に多く。

なんだか映画館というより少し品のある劇場に来ている気分。

 

隣に座る50代くらいのご夫婦も素敵だったなぁ。

おそらく奥さんがQUEENのファンで、

旦那さんは、当時聴いていた、程度だったのだろう。

そんな旦那さんがいるからか、奥さんは最初から幸せそうにニコニコしながら小さく手拍子をしていて、

歌ったり手をあげたりということはなく控えめな印象。

 

でも幸せなオーラがすごかった。

この人はどんなふうにQUEENを聴いていたんだろう。

と、想いを巡らせてしまった。

 

 

当時の彼らをみていた人もいるだろう。

来日した時にライブに行った人もいるだろう。

フレディが亡くなってどんな気持ちだったろう。

この映画が出るまではどのようにQUEENの音楽に触れていたのだろう。

そして映画はこの人にどう響いたのだろう。

応援上映、そりゃあくるよなぁ。

なんて思いながら。

 

後にこの時の想像は容易くこえられていくのだけど。

 

 

 

 

 

正直、映画をもう一度見たいというより、

ライブシーンをもう一回みたいんだよね〜〜

なんてなかしてたけど、映画の一瞬一瞬も改めてよかった。

 

ああ、映画ってこうして楽しむんだな!なんて映画ファンってこんなふうに楽しんでいるのかななんて思ったりなんて。

いいなぁ〜かっこいいなぁ〜という憧れと敬意。

 

 

ライブシーンはもちろん、

それ以外の描写で印象的なシーンがあって。

 

フレディがメアリーと電話越しに話していて乾杯するシーン。

本当はメアリーは電話越しにグラスを持っていなかったし、乾杯もしていなかった。

この時のメアリーの心情とフレディの心情と

小さな嘘と、心が通じ合っていない切なさ。

 

aikoの二時頃を彷彿させると個人的に思っていたり。とにかく形容できない切なさ…。

 

事前調査の時に、このシーンで小さく一緒に乾杯をしたと書いている人がいて、もう、なんだか、めちゃくちゃグッときた。わたしもした。

 

 

ライブシーンもね、最初の方はみんなちょっと周りを見ながら遠慮しつつ、、だったのだけど、

最後のLIVEAIDのシーンでは、本当にライブさながらで。

「ライブさながら」のこの高揚を言葉で伝え切れないのがもどかしい。

 

 

拳突き上げて、声張り上げて、最後のWe Are The Championでは自分でも笑ってしまうくらいに泣いていたし、今でもイントロからこの感情を思い出して涙こみ上げてくる、、

 

 

上品に観ていた隣のマダムが、ぎゅうっと握った拳を震わせていたの。

突き上げはしないその震える拳をみて、

 

ああ、すごいところに来てしまった。

何十年も経ての想いとともにこの空間にいるのか。

と、胸が熱くなった。

 

たくさんのレコードやCDを残してくれた。

DVDもある。たくさんの記事もある。

だけど、ファンが集まり、一緒に歌い拳を突き上げる。

こういう共有する場がないということは、、、そういうことだ。

 

本人ではない映像のライブ、というものは当時を知るファンにはどう映るのかなとも思ったことがあったけど、

きっと、そういうことだ。

 

お客さんの手拍子が、ライブを完成させるって

どこかのこぶちやたかはしも言っていた。

これもきっと、そういうこと。

 

だから大切にしなきゃいけない、

ファン同士で情報に一喜一憂できることも

リアルタイムで共有できることも

新しい作品を待てることも、

彼らが目の前にいることも。

 

親にも近い世代の、拳を突き上げ、

音楽に夢中になる姿。

何十年もの想いが産んだ光景。

本当に本当に、この場にいれてよかった。

ボヘミアンラプソディという映画も

QUEENという音楽も。

応援上映を経験してこそだと思えた。

 

一生忘れない経験になったなぁ。

世界一幸せ者だと図々しくも感じた、

 

幸せと充実感と、すごい音楽を知ったんだぞという誇りに包まれながら終電近くで家に帰ったのであった。