君を今日も 愛してる!

おもいを綴るばしょ

ももことわたし

さくらももこさんの訃報がありましたね。

なんだか、いろんな気持ちが湧いてきて

しばらくいまもずっとさくらももこさんのことを考えてた。

 

タイトルはまるこじゃなくてあえてのももこ。

先生への敬意をこめての表現ということに。

 

 

わたしは、さくらももこさんのファンです。

 

と、悲しいことに亡くなってから自覚した。

 

最新作をリアルタイムで追っていたわけでもないし

知らない作品もあるけども、

それでも思春期のわたしを造ったと思う。

今でも度々思い出すシーン、文章がある。

 

何よりこんなにも悲しい。

 

 

著名人が亡くなることについて、

いよいよ知っている人たちが…と思うし

そんな中でも、もしかしたら初めてかもしれない

自分の人生の中に入り込んでいた人だったなぁと。

 

 

 

小学、中学時代は、活字があまり得意じゃなかったわたしが初めて夢中になったエッセイだった。

 

そんななかでも何冊か本は読んだけど、

繰り返し読んだのも、中身を覚えているのも、

言葉やフレーズが記憶に残っているのも、

さくらももこさんでした。

 

唯一実家から手元に持ってきているエッセイと漫画だった

 

読書が苦手なわたしの、朝の読書タイムの救世主だった

 

友達にも貸して、友達もおもしろい!って読んで、

何を思ったかルーズリーフにエッセイ書いてみたりしたなぁ。笑

 

15歳の立志の集い?の論文集で、

初めてですます調で無く書いた気がする笑

 

 

 

さくらももこさんの追悼の文をいくつかのところで見て、さくらももこさんの深い魅力を再認識させてもらったし、

もっともっと、広まれ!と思った

 

とはいえ、わたしも物心ついた時にはすでに

国民的漫画、国民的アニメ、国民的キャラクターとして

ちびまる子ちゃんがあったし、

このすごさが当たり前になってしまっているというか。

 

すごい人なんだよ、すごい。

きっとさくら先生一家は(モデルが実在する)

日本一有名な家族だと思うし、

漫画名だけじゃなく、作者の名前が

こんなに浸透していることもすごいことだ。

 

 

さくらももこさんの感性の魅力を一言では表せないけど

わたしの好きなところ。

 

 

ちびまる子ちゃんのキャラクター、

クラスのメンバーは個性もあって、

性格がちょっと曲がった子もちょっと変な子も

クラスの中心的な子もおとなしい子も

いろんな子がいるのにみんながちゃんと存在してる

ブスな性悪キャラ(笑)にも。愛情がある

「変なの」を愛した人だと思う。

「変なの」に愛情を持っている人だと思う。

繊細だから、敏感だからこそ、

日常を楽しんだ人だと思う。

 

そして、やっぱり、ちびまる子ちゃんの頃から

その前の幼稚園にも入る前の頃の幼い頃から、

子供の頃の気持ちを繊細に感じて覚えていて

それを表現してくれたエッセイがとても好きだ

 

子供だって感じてる、子供だから感じてる

子供だって悩んでるし、子供だから真剣だ

あの時の表現できない複雑な気持ちも

さくら先生だからエッセイにできたのだと思う

 

"子供は純粋だ"純粋だから、感じてるんだ

やるせない気持ちも嫌な気持ちも

疑問も疑いも悩みも全部本物で正直だ

 

わたしもわりと幼い頃の気持ちを部分的に覚えていて

表現する才能はわたしにはないけど

さくら先生の幼少期のエッセイには

そんな気持ちが蘇るんだなぁ。

 

自分にしっかり気持ちがあったからこそ

最近ツイッターで読まれてる子育てに対する考え方が頷ける。

我が家の親も同じで、子供を親の所有物じゃなく

ひとりの人として捉えてくれていた。

そんなところ、わたしはとても好きだし尊敬する。

 

そんな気持ち、もしかしたら今の仕事に

通づるものがあるのかもしれない。

完全な後付けだけど、考え方として

影響を受けているのかもしれない。なぁ。

なんて。

 

 

なんだか、当時は共感ってわけじゃなかったけど

どれかのエッセイのひと文がすごく心に残っていて。

きっと幼少期を書いたシリーズのどれかなんだけど

思い出せないから片っ端から読み返している。

 

文章を見つけたらまたそのことを綴ろうかな。

 

 

記憶に残る、人生に残る、作品や生き方を

ありがとうございます。

 

 

追えてはなかったのにいまさらになって、

もっとイラストもエッセイもみたかった。

遺されたものしか見れなくなってしまったけど

今からでも大事に抱きしめたいと思う。

面白い活動、いっぱいしている人だったもんねえ

 

作品をを作る人って、なんて素敵だろう

表現する方法を持ってる人って、楽しそうだな

なんて最近は思うのであった。

だからこそ、その人しか残せないものがある人の

死はとても悲しい。もったいない。

もっと先があったらとんでもないものを

さらに作っていたのかもなんて、

早くに亡くなった歴史の著名人に

想いを馳せてみたり。

 

でも残った数少ないものに、ぎゅっと込められた

魂があるのかもと思ったり。

 

それでもやっぱり、わたしはさくら先生の作品が

もっと見ていたかったし、見れると思ってしまってた。

 

漫画家、クリエイター、ミュージシャン、俳優

何に関してもそうだね。

今のその人の作品が見れること、

今のその人の想いが見れること、

やっぱり当たり前じゃないんだなぁ。

 

好きを大切にしたいと思った日でした。

 

さくらももこ先生、ありがとう。

個人的な気持ちだけど、残したくなったのであった。