君を今日も 愛してる!

おもいを綴るばしょ

聞こえない人とのかかわり

 

今日は職場に耳が聞こえない人が来ました。

 

口話の読み取り、発話ができるという前情報がありながらも、

必要に応じて何かお手伝いが必要であればしようと思っていたけど、

過度に出しゃばらないようにはしようと思っていた。

相手が「助かるなぁ」と思うことと

「申し訳ないなぁ」と思う線引きは難しいけど

なるべく後者にはならないようにしようと。

 

また、わたしが関わって成り立つだけの環境は

良くないと思ったから。研修の目的もあるしね。

 

 

結果、口話の読み取りも上手だし、

まわりが十分聞き取れる発話で、

だからこそ研修にきているのかもしれないけど。

 

 

だからこそ、彼のその技量にこちらが甘えてしまう

 

そんな場面っていっぱいあるなと感じた日だった。

「できる」状態も、彼なりに頑張った状態かも知れない。

 

私たちが英語の環境に連れてかれて、

とりあえず簡単な単語で向こうも話してくれて、

ゆっくりならコミュニケーションがとれるとしても、

その疲労は計り知れないよなぁと思うのである。

 

 

朝礼の時間、昨日の特記事項だとか今日の予定を共有するのだけど、

誰が話しているかも分からなければ、みんなはっきりと話すわけではないから、

きっと彼は話の内容はまったく分からなかっただろう。

 

昼休みに、職員同士がお昼を食べながら

笑い声も交えながら支援について話している

遠くのデスクから参加する人もいる

だけどもちろん彼はそんな話をしていることにも気づいていない

 

情報弱者」だと言われる理由はここにある。

この「弱者」という言葉に弱者じゃない人ほど嫌悪感を抱く。

わたしもそうだったけど、その言葉を生み出してしまうのは社会で、環境で。

言葉を避けている自分を恥じた。

向き合わなきゃいけないのは私たちこそじゃないのか。

 

聞こえない人に「わたしは情報弱者だから」と言わせてしまうこんな世の中じゃ。

 

 

 

疎外感や不安感、

仕事面じゃなくてコミュニケーション面で

すれ違いが生じやすい、

聴覚障害者の雇用の問題が

とてと手に取るように感じられた。

 

 

わたしが初めて手話が飛び交う飲み会に行って

自分だけ手話の意味がわからず話に入らなかった

あのときの感情がすごくフラッシュバックした。

 

 

 

だからといっても会社で全員が手話をできる環境というのは現代のほとんどの会社では

ほぼほぼ夢物語な事実。

 

だからダメなんじゃなくて、

今の会社の状態で、例えば今日の、自分の会社で、

どんな配慮が ベストなのだろう。

どんなことができるのだろう。

双方の負担を最小限にできるのだろう。

なぁ。

  

 

 

わたしがすべて通訳するのがベストではないのももちろんだし

じゃあそのなかで何ができるかなぁ。

この辺は千差万別だし答えはないかも知れない

こうして考えること自体が実はとても大切かも知れない。

 

もし自分の職場に聞こえない人がいたら、、

そんなこといつだってあり得ること。

 

朝礼の場面は、議事録をとる担当を作ればいいかも知れない。

あとから見返せる文面の情報は、

その日を休んだ人にとっても助かるだろう。

聞き逃した人にとってもいいだろう。

 

「誰かに便利なことはみんなに便利だ」

基本中の基本だけど大切だよね。

 

 

 

そして何気なく得ている情報ほど、

実は権利として保証してあげたい情報だったりするかもなぁ。

 

 

 

手話通訳養成の講習会に通っているわたしだけど、

よく考えたらね、そこで知り合った人以外と、

初めて手話で話をしたの。

 

ただ一言だけ、「困ったこと、細かく知りたいことがあったら、手話が少しできるので、手伝えることがあれば。」

 

「手話、できるんですか?!びっくりしました。たすかります。」

 

「大人数で話すときは唇読み取るのも大変でしょうから」

 

「そうなんですよ。お気遣いありがとうございます。嬉しいです。」

 

 

休み時間も被らなかったし忙しかったし、

たったそれだけの会話だけだけど

わたしにとってもなんだか特別な会話になった

 

これでよかったと、これだけでもよかったと思った

もしかしたらこの返答さえも優しさかも知れないけど。

 

 

普段わたしがかかわるろう者は60代のおじさまがたで、

初めて同年代の男性のろう者の方と話したけど

とてもとてもすてきな方だった。

雰囲気がある人だった。

 

手話は言語だ。言語は生ものだ。

生きた手話がいちばんだ。

そして使えば使うほど上達する。

使わなければ意味がない。

 

同年代のろう者の友達が欲しいなぁ。

と改めて思ったのであった…。